<日々新た>龍谷大平安・川口コーチの挑戦/下 大舞台向け選手に目配り 開幕「楽しみしかない」 /京都
コーチの川口知哉(43)が選手たちと言葉を交わす機会は、意外に少ない。1時間以上に及ぶ入念なアップトレーニングでは、直接指導することもあるが、グラウンドでボールを使った練習が始まるとバックネット裏、ブルペンでは投手たちの背後が定位置となる。 ひたすら選手たちにまんべんなく目を配り「観察」を続ける。現在は公式戦でベンチ入りしないからこそ、見えてくるものもある。そして「求められていない時にアドバイスしても無駄。状態が落ち込んだ時にこそ助言するべきだ。一番合うものを自分の引き出しから提供できるように準備している」という。 センバツ出場の期待が高まった2022年秋の近畿地区大会終了後、川口は原田英彦監督(62)から本番までの練習・調整の計画作りを託された。「監督の考えを具現化する」ために、練習の指揮もほぼ任されている。エースに成長した桑江駿成(2年)には、12月中旬までノースローで、ひたすら走ることを求めた。グラウンドの周辺コースだけでなく、入り口に続く急な「根性坂」も折り込み、負荷を強めた。 川口が初めて甲子園のマウンドに立った1997年の春は、前年秋から本番の1カ月半ほど前まで毎日、当時亀岡市にあったグラウンド周辺の起伏の激しいコースでアップした後、約2時間走らされた。「ほとんど『マラソン部』だった。少し手を抜くとすぐ走る距離を追加され、何度もやめたくなった」。しかし、夏の甲子園で6試合820球を投じても「下半身はなんともなかった」という。苦しく面白くない練習を課すのに、これ以上の説得力を持つ実例はない。 主力打者たちはセンバツ出場決定後、本格的な打撃練習を再開し、好調を維持する。体幹を鍛えてバットを振る際の「軸」をしっかり形作り、力強いスイングができるよう指示したのも川口だった。「開幕の3週間前にはいったんチームの形を整え、その後のアップダウンはあるだろうが、上り調子で開幕を迎える状態に仕上げたい」と話す。 川口には、絶好の目標がある。97年夏の甲子園決勝で敗れた相手、智弁和歌山の捕手・主将だった中谷仁監督(43)。川口と同様、プロ野球へ進み、引退後に指導者として母校に復帰。18年に監督となり、21年夏の甲子園では全国制覇を成し遂げた。 今回のセンバツで川口は、自らも大きく関わって仕上げたチームを本番では原田監督に託す。冬の間に成長した選手たちの大舞台はスタンドから見守ることになるが、「今は楽しみしかない」。その表情は、いつかベンチで自分が指揮を執り、中谷監督と再び甲子園で相まみえる時を待っているように思えた。【矢倉健次】 〔京都版〕