ヤクルトD2位・松本健吾、球団72年ぶりプロ初登板完封! しかも2桁K&無四球はプロ野球史上初「100点満点」
(セ・リーグ、ヤクルト2-0広島、6回戦、広島4勝2敗、15日、松山)ドラフト2位・松本健吾投手(25)=トヨタ自動車=はプロ初登板先発を3安打完封勝利で飾り、チームは2-0で快勝。秋季キャンプを行う地で最下位を脱出した。 27個目のアウトを投ゴロで奪うと、松山の夜空に両手を突き上げた。敵味方は関係ない。坊っちゃんスタジアムは2万855人の拍手で包まれた。ドラフト2位の松本健がデビュー戦で3安打完封勝利を飾った。 「完封は全くイメージしていなかった。最初から全力でいって、気がついたら九回になっていた。100点満点かなと思う」 持ち味の制球力を発揮した。最速149キロの直球に加え、スプリット、カーブなど多彩な変化球で広島打線を翻弄。四回以降は一人の走者も許さなかった。118球を投げ、無四球で10奪三振。新人投手の初登板完封勝利は球団では1952年10月10日の小山恒三以来72年ぶり2人目。プロ初登板で、2桁奪三振での無四球完封はプロ野球史上初の快挙となった。 春季キャンプは新人でただ一人、1軍メンバーに入ったが実戦で結果を残せず、開幕は2軍スタート。3月13日のDeNAとのオープン戦で1回7失点とプロの洗礼を浴び「悔しすぎて眠れなかった。ずっとその映像を見ていた」。自身と向き合い、フォームを修正。1軍の舞台をつかんだ。 今までの野球人生も逆境からはい上がってきた。松本健はずっと〝ナンバー2の男〟だった。東京・東海大菅生高で背番号1をつけたのは3年夏の甲子園から。若林監督は「『ボールは一流、心は三流』と言っていた」と振り返る。3年夏の西東京大会は背番号11。「1をつけたかったら西東京大会で結果を出せ」と試練を与えられた。 「そこへのこだわりは強かった」と寮の自室には筆で「俺がエースだ」と記した半紙を貼り、自らを奮い立たせて甲子園出場に貢献。最後の最後で背番号1を受け取った。亜大4年時のドラフト会議では指名漏れを経験したが、トヨタ自動車で元中日の吉見一起コーチと出会い、制球力の重要性を学んで飛躍した。 ウイニングボールは松山まで応援に駆け付けてくれた両親に贈る。「今日はとてもうれしいけど、これに満足せず、チームの勝利に貢献したい」。ともにお立ち台に上がった村上は同学年。25歳が燕のエースへと駆け上がる。(武田千怜)