【追及スクープ第2弾】齋藤元彦・前兵庫県知事を潰した「既得権益の逆襲」と「パワハラ・おねだり告発文書」の深層とは…齋藤氏辞職までの「全内幕」
齋藤前知事とA氏の関係
県庁職員などの証言を総合すると、A氏と齋藤氏の関係は決して悪くはなかった。「知事と人事系職員の会食にも出席していたし、携帯電話の番号も交換するような間柄でした」(別の県職員)。とはいえ、前知事の井戸氏の意向を色濃く反映した人事政策を実施した身としては、肩身が狭かったはずだ。 さらに、齋藤県政ではA氏自身の先行きが不透明になっていった。 齋藤氏は就任後、自身に近い改革派の幹部職員を集めて「新県政推進室」を発足させた。A氏もじきに本庁へ呼び戻され、これに加わるとみられていたが、大方の予想に反して西播磨県民局長に残留することになったのである。 A氏は定年を間近に控えていた。前出の県職員はこう話す。 「定年時の人事が決まる昨年後半以降、Aさんから人事課に『自分の人事はどうなりそうか』と問い合わせが来ていたようです。 人事畑のエースを自任していた彼からすれば、定年時には本庁で勤務したいと考えていたようですが、県民局長として県庁生活を終えることになった。彼はしばしば『今の人事を仕切っている奴らは低学歴集団だ』といった不満を漏らすようになりました」 A氏が告発文を各所に送ったのは今年3月、県民局長として定年を迎えると決まった直後のことだった。 当初、文書には送り主が書かれていなかった。調査を経て、それがA氏だと特定されると、A氏は4月4日に公益通報窓口に届け出て、この問題が広く世間に知られることになった。 その後、A氏は今年7月、県の百条委員会に証人として喚問される直前に自殺し、帰らぬ人となった。もうひとつ、世間でほとんど報じられていないのが、この百条委員会とA氏の自殺との関連についてである。
拙速すぎた「百条委員会」
A氏は勤め先で使用していた業務用パソコンで告発文を作成したことが明らかになっている。じつはその中には、A氏の私的な「倫理上問題のある記録」のデータも保存されており、百条委員会からパソコンの提出を求められたA氏は、そのデータの公開を避けて欲しいと委員会側に嘆願していたという。 A氏の真意はわからないにしても、こうした経緯が強いストレスになっていたことは間違いなさそうだ。 そもそも、今回の百条委員会の設置については、県議会でも一部議員から「拙速ではないか」と批判が上がっていた。あるベテラン県議が言う。 「告発文の中身や事実関係を精査する第三者委員会の調査結果が出る前に、百条委員会が設置された。議論の土台がなく、『ゴールポスト(議論の落としどころ)が動く』ような状態になってしまった」 実際、百条委員会では当初、齋藤氏のパワハラ疑惑を調査することが目的とされていたが、職員アンケートの結果は伝聞が大半を占め、証拠として弱かった。その後、論点は齋藤氏の資質や、公益通報への初動対応の問題に二転三転している。 「もし弁護士による第三者委員会で事実関係が冷静に精査されていれば、A氏の死は避けられた可能性が高い」(同前)