菅直人元首相「福島原発事故で日本は壊滅状態と紙一重だった」一連の批判について語る
■東電撤退問題
東電の福島原発からの全面撤退問題について、菅氏は「最初に撤退の話が出たのは東電の清水社長から。決して経済産業相からでも、官房長官からでも、私からでもない」と説明する。 「15日の午前3時ごろ、東電の清水社長から海江田経済産業相に撤退について了解を求めて何度も電話があったと。私は仮眠していたが、枝野官房長官らが集まり、相談したいとやってきた。東電の関係者が撤退してしまったら、その後、いろいろなオペレーションをできる能力を持っている人がいないので、何としてもぎりぎり頑張ってもらいたい、ということで清水社長を呼んでそのことを言い、その後、東電に行って同じことを大勢の前で言った」 菅氏は、清水社長からの連絡は「もうこれ以上打つ手はない。だから福島第一から撤退したいという趣旨だと、海江田氏や枝野氏は受け止めた」といい、「テレビ会議でも清水社長が『今しかるべきところと撤退について話をしている』と、つまり官邸に了解を求めていると示唆する発言が公開されている」と語った。
■突然の現場視察
12日朝の菅氏の福島第一原発への視察は事態を悪化させたとの批判もある。それに対して、菅氏は「現場の情報がちゃんと伝わってこない中で、どうしようかと考え、一度現場の責任者と話をすることが必要だろう」と判断したと語る。 「原発そのものをどうするか、ベントする、海水を入れる、それは事業者である東電が判断すること。ただ、周辺住民の避難、それは原子力災害対策本部が判断する。私以外の人間が現場に行く選択肢もあったが、私は大学時代は物理を学んで文系政治家よりは原発事故に多少は詳しい。それで12日の朝一番のヘリコプターで行った」 吉田所長と実際に会ったのは45分間。菅氏はそのことによって2つの意味があったという。一つは、福島原発が危険な状態だと分かったので、その後の対応はそれを前提に行ったこと。もう一つは吉田所長に会って明確にものを言う人だと知り、その後のやり取りにプラスになったこと。 菅氏は、住民避難の判断という観点からこう強調する。「45分とはいえ、吉田所長に時間をとらせ負担をかけたが、住民の避難について、所長はそこまで考え切れないと調書でも言っているし、法律的にも事業者が命令する仕組みになっていない。住民避難を考えないといけない当時の総理である私としては、(東電)本店がちゃんと間で情報をつながない以上は現場に行って聞くしかないし、聞いたことは今でも良かったと思っている」