「男同士が引っ張っているのは嫌」玉木雄一郎氏の発言を擁護する人々が見落としていること
問題は「擁護の声」が大きいこと
もっとも、玉木氏も人間ですからミスもします。選挙のストレスから解放されてホッとする気持ちもわかります。むしろ、問題はこの玉木氏の発言を擁護する声が大きいということなのではないでしょうか。 玉木氏の発言に理解を示すコメントを見ていると、“そんな揚げ足ばかり取るから息苦しい世の中なのだ”という空気があるように感じます。 確かにそういう風潮はあるでしょう。トランプ氏が最初に大統領に当選したとき、彼を支持した俳優のクリント・イーストウッドは、「軟弱な時代だ。誰もが発言に細心の注意を払う」、「内心ではみんな、ポリティカルコレクトネスに媚びるのはうんざりしているんだ」(『ハフィントン・ポスト』2016年8月5日)と語り、社会の閉塞感を訴えました。 けれども、イーストウッドは前回の大統領選ではトランプ支持を撤回。トランプ氏の手法を、下品だと断じたのです。(AFP通信2020年2月23日)
私人と公人の違い
ここからうかがえるのは、私人と公人の違いということなのでしょう。同性愛に対する感想を思うように言うことは私人の領域であり、もしもそれを今の時代に公人として表明するのならば、それなりの信念と代償を払う覚悟がない限り、軽々にすべきことでないのです。 つまり、ネット上の玉木氏の発言を大目に見ようという態度は、結果として玉木氏を私人の領域にとどめることになり、それは政治家、玉木雄一郎を支持することにはならないのです。 だから、玉木氏にさらなる飛躍を望むのであれば、心を鬼にして厳しく批判しなければならないのです。 文/石黒隆之 【石黒隆之】 音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。Twitter: @TakayukiIshigu4
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