横綱なのに気さくだった曙太郎さん 新米記者にもやさしかった
【ベテラン記者コラム】自宅の整理をしていると、なつかしい写真が出てきた。そのうちの一葉は、1993(平成5)年6月に行われた大相撲のハワイ・サンノゼ巡業の際に、先日亡くなった横綱曙さんと写ったものだ。背景にゴールデンゲートブリッジがあるから、サンノゼへ行く前にサンフランシスコで観光したときの記念写真。横綱もリラックスした着物姿である。もう31年も経ったのかと驚く。 このときのハワイ・サンノゼ巡業は若貴よりも小錦、曙、武蔵丸のハワイ勢が話題の中心だった。曙は一人横綱として公式行事には必ず出席するし、小錦は大リーグ、サンフランシスコ・ジャイアンツの試合で始球式も務めた。直前の夏場所の番付は、横綱曙、大関貴ノ花、小錦、関脇武蔵丸、若ノ花、若翔洋、小結貴ノ浪、旭道山である。 当時は空前の相撲ブームで、スポーツ新聞も各社複数人の相撲担当記者がいた。人気の中心は若貴兄弟で、新米記者だった私は二子山部屋に取材に行くことが多く、曙がいる東関部屋は先輩記者がよく行っていた。ときどき私が取材に行くと「ここは二子山部屋じゃないぞ」と憎まれ口をたたかれるのだが、実際は人なつっこい性格だった。海外巡業で忙しいのに、新聞記者との記念撮影に応じてくれるなんて、横綱とは思えないほどの神対応である。 その頃、ハワイでは「ポグ」という、めんこ遊びがブームになっていた。牛乳瓶のふたをめんこにしていたのだが、流行るにつれてさまざまなデザインのポグが売られるようになり、外国人力士で初めて横綱になった曙の顔がポグになった、という話を仕入れたので、本人のもとへ確かめに行ったことがある。 今ならインターネットで情報を集められるだろうが、まだウインドウズ95すらない時代の話だ。すると、曙は気さくにハワイの知人に国際電話をしてくれて、本当に自分がデザインされたポグがあると知り、「カメハメハ大王と俺がポグになっているらしい」と、とても喜んだ。このときの話は東京版では1面になった。後日、私もハワイにいる親戚から「AKEOBONO」と書かれたポグを送ってもらったが、曙とは似ても似つかないテキトーなイラストだったけれど。 曙の取組には若貴との激闘など印象的なものが多いが、個人的にはハワイ・サンノゼ巡業と同じ年の九州場所での小錦との一番を思い出す。前の秋場所で途中休場した小錦はかど番だったが、12日目を終えて5勝7敗。13日目に当たったのが曙だった。