キルスティン・ダンストが語る、ハリウッドで自分らしさを貫き続けた35年間
最新作『シビル・ウォー アメリカ最後の日』で3年ぶりにスクリーンに復帰したキルスティン・ダンスト。3歳から仕事を始め、自分を偽らない生き方をしてきた彼女は、納得のいかない役を演じるつもりはないと話す。 【写真9枚】キルスティン・ダンストの『GQ』独占フォトシュート 黒のシボレー 4WDで現れたキルスティン・ダンストは、全身黒ずくめの服装で黒いサングラスをかけていた。エンジンをかけたまま、彼女は「乗って!」と私に声をかけた。 カフェに行く予定の私たちだったが、ダンストは気が変わったようだ。この日は3月初旬の金曜日。午後3時を過ぎた頃で、太陽が出ていた。彼女は長男の三者面談から帰ってきたところだった。「息子はよくやっているみたい!」。成績が良かったせいか、あるいはカップホルダーに入れた刺激的なラズベリー味のエナジードリンクのせいか、彼女はほのかにハイになっていた。「半分しか飲めませんが、これのおかげで一日を切り抜けられます」と、彼女は話した。 もうすぐ夕方だ。バーに向かっているのだろうか? 「インタビュー中にお酒は飲めません」と、彼女は答える。「何か悪いことを言ってしまいそうで」。だが、彼女はバーに行きたいのに違いない。冗談を言いながら、彼女はアクセルを踏み込む。「早く着こうと違法なことをしています」 トルーカ・レイクにあるダンストの自宅近くの安酒場は、いかにも休業中といった佇まいだった。彼女はクルマのエンジンをかけたまま、店が開いているか見てきてと私に言った。店は休みだった。「残念」と彼女は言った。というのも、そうなると彼女はこれから私を本当にイケてない場所に連れていかなくてはならなくなるのだ。 そのイケてない場所とは、家族連れに人気のウイスキーバーである。彼女の馴染みの店だ。いかにも常連客らしく、彼女は「後ろのほうの席にしましょう」と言った。ここはチーズトースティが絶品で、彼女の子どもたちのお気に入りだという。そして、イケてないというのは本当だった。 茶色の格子柄があしらわれた布張りの座席、天井から吊るされた昔ながらのビアマグ、壁に施されたアヒルの彫り物。そして鹿の角まで。新鮮に感じられるほど、ロサンゼルスらしくない店である。メニューには、「当店はグルテンフリーでもヴィーガンでもないのでご了承ください」という注意書きがある。午後5時になると、この店は学校帰りの親子連れでいっぱいになるという。 彼女はここでもまた気が変わったようだった。「お酒が欲しいかも」と、バーへ向かう列に並びながら彼女は言った。マルガリータはどうかと私が訊くと、「ここのマルガリータは最高」と彼女は答えた。 2杯のマルガリータを持って、私たちは隅っこのブースに戻った。もともと高揚していたダンストの気分が最高潮に達したのは、彼女が息子の学校で見かけたばかりの保護者の姿を見つけたときだった。「ああ、おかしい。三者面談からバーへ直行だなんて。私ひとりじゃなくてよかった」 私は彼女に、インタビュー中に酒を飲むという初めての試みがひどい失敗を招かないことを祈ると言った。彼女は「成り行きはあなたに任せます」と言い、私たちはグラスを合わせた。 ■自分に正直な役選び ここでひとつ明確にしておこう。キルスティン・ダンストについて心配する必要はない。彼女は優秀だ。タバコを吹かす場所がアカデミー賞授賞式の喫煙所だというくらい優秀だ。A24の大作で主演を務めたり、雑誌の表紙を連続で飾ったりするくらい優秀だ。 しかし、それはダンストの人生のほんの一面に過ぎない。世間の目から離れたここサンフェルナンド・バレーで、彼女は映画館に行き(最近では『恋するプリテンダー』で大いに楽しんだという)、テニスをし、馴染みの店でチーズトースティやマルガリータを楽しみ、夫で俳優のジェシー・プレモンスとディナーに出かけている。3歳で活動を始めた芸能人には必ずしも保証されていないような、見事に平凡な日々の営みだ。 今年3月、ダンストはあるインタビューに応えた。彼女の言葉がニュースフィードを通じて脈絡を欠いた引用に切り抜かれると、彼女はあまりいい俳優ではないのではという印象を人々に抱かせた。彼女は俳優業からしばらく離れていたこと、また2021年の『パワー・オブ・ザ・ドッグ』以来「悲しい母親役」しかオファーされていないことを語っていた。 埃っぽい1920年代のモンタナを舞台にした同作で「悲しい母親」を演じた彼女は、この演技で遂にアカデミー賞に初ノミネートを果たした。 役柄の制約が彼女の活動休止の原因となった──あるいは可能な限り好意的に読めば、ダンストは仕事を得るのに苦労していた──というような解釈は、ダンストの本当の立場を読み誤るものだ。 実際、キルスティン・ダンストはどうしているのか? 念のため尋ねると、彼女は「私は大・丈・夫!」と、単語を強調するように言った。 「役を得ること自体は難しくありません」と、彼女は言う。「ほとんどの仕事はよくないからやりたくないだけです」。プレモンスは彼女に、作家性の強い監督とばかり仕事をしようとするからだと冗談めかして言うそうだが、ダンストはあまり同意できない(この7年間、彼女が出演したのはアレックス・ガーランド、ジェーン・カンピオン、ソフィア・コッポラの作品にほぼ限られる)。「私は3歳の頃から仕事をしていますから。これだけ長く働けば、ほとんどの人は引退しています。選り好みしてもいいでしょう?」 そのうえ、彼女は2人の幼い子どもを育ててもいる。「私からしたら、活動休止している時間はゼロ。育児にかかりっきりですから」と、彼女は言う。21年の『パワー・オブ・ザ・ドッグ』と今年公開の新作『シビル・ウォー アメリカ最後の日』の間に、彼女は次男を出産した。「『シビル・ウォー』の撮影中に下の子が1歳になりました。女性にとって(出産後に)自分の身体を取り戻すのは長い時間がかかるもの。撮影中の私の身体は、まだ元に戻っていませんでした」。今、彼女は仕事と育児を両立させている。「(子どもの)お尻を拭くか、インタビューを受けるか。休みはありません」 俳優はしばしば最後に演じた役と同一視して見られる、と彼女は言う。これは本当のことだ。「こないだのインタビューみたいにね。わかりますか? 皆、私が最後に受けたインタビューについて話したがっているみたいで、すごく退屈です」 「(子どもっぽい声色で)『彼女は悲しい母親の役しかオファーされないんだ』ってね。ええ、落ち込んだ母親の役はもうやりたくありませんとも。『メランコリア』の直後は、陰気な役ばかりオファーされるようになりました。コメディを選んだのはそのせいです。私はそういう俳優じゃない。今は何でも演じられる気がしますし、自信があります。奇妙で風変わりなことをしたいし、新人監督と仕事をしたいとも思います。凡庸で大味な仕事を選んでは、気が滅入ってしまいそうですから」 以前、スーパーヒーロー映画について彼女が述べた意見はあまりにも率直で、人々も好意的に受け止めたようだった。彼女はそういった作品に再び出演することも考えたいとしつつ、その理由を「お金がたくさんもらえるから」と話したのだ。そんなことを言う俳優はほかにいない。 「そうなんですか?」と言い、彼女は大笑いをした。 「そんなこと誰も言いません!」と、私は言った。 「本当に? 誰だって、ああいう映画をやるのはそれが理由ですよ!」。同じ笑い声が、今度は少し大きくなった。 それは02年の『スパイダーマン』に彼女が出演した理由のひとつではあったが、現在に連なるコミック映画ブームが始まったばかりの当時、彼女にはより純粋な動機もあった。「当時はもう少し純真だったと思います。サム・ライミはカルト的な監督でしたから、スーパーヒーロー映画を装ったインディペンデント映画を作っている感じでした」 『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』に出演依頼はなかったのだろうか? 「いいえ、あれば出たかったですけどね」と、彼女は答えた。 彼女はまだ『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』を観ておらず、出演が実現していればどのようなシーンとなったのかは想像できないでいるが、メリー・ジェーンとピーター・パーカーの関係に意外な切り口で再訪するというアイデアには乗り気でいる。「トビー(・マグワイア)と私で、おかしな自主制作映画のようなやり方で、ひと味違ったスーパーヒーロー映画を作ったら面白いかもしれません」と、彼女は言う。「(ジョシュ・トランク監督の)『クロニクル』みたいな感じで。クールなものになるかもね」 マルガリータが彼女の創造力を刺激しているようだ。「皆、『チアーズ!』をまた作ってほしいとも言っています」と、彼女は言う。「ただ、脚本がすごくよくないといけないし、私たちがどういう立場で関わるのかはわかりませんが……監督のペイトン・リードとは話しました」。映画を取り巻く今日の状況において、それはとても理に適っていると彼女は言う。「『ミーン・ガールズ』もリメイクされましたしね。おかしな話、今は私と同年代の女性が最も力のある観客になっていると思います」 ■ハリウッドの型にはまらず「普通」でいたい ダンストが俳優業を始めて以降、30年余りの間に業界は大きく変わっていった。彼女はそのほとんどの時間を、変わらず自分らしくあり続けることに費やしてきた。生まれつきの顔。彼女のちょっと変わった映画の趣味。彼女が映画スターであることを気にしない友人や家族(マルガリータを半分ほど飲んだ辺りで、彼女は出産中の友人の様子を確認するため、友人の夫に電話をすると言って席を外した)。 ダンストは、私たちが今いる場所から5分ほど離れたサンフェルナンド・バレーで育った。ティーンエイジャーの頃、彼女は家から歩いてペイティーズというダイナーに行き、今も親友である女友達とミルクシェイクを飲んでいた。思春期を通じてダンストのキャリアを管理していた母親は、彼女らが無事に到着するよう、車でふたりの後ろを尾行していた(ダンストがそのことを知ったのは何年も経ってからだったという)。 「10代の私はとてもイノセントで、守られていたように感じます」と、彼女は言う。彼女の映画キャリアは7歳のときに『ニューヨーク・ストーリー』でスタートし(最初のクレジットは1年後の『虚栄のかがり火』)、12歳のときに『インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア』で一気に加速した。それでも、彼女の人生のイノセンスが乱されることはなかった。ときどき学校を欠席することはあったが、そのことで起きた最も深刻なトラブルといえば、休学中にロッカーの暗証番号を忘れたことくらいだった。「それに友達に恵まれたので、嫌なことは忘れて人生で本当に大事なものを得ることができました」 サンフェルナンド・バレーはロサンゼルスで最も「普通」に暮らせる場所だと彼女は話す。20代をニューヨークで過ごした彼女が、ここに戻ってきたのもそのためだ。「見回してみたらわかるでしょう?」と、彼女は言う。エアウォン・マーケットのスムージーを飲みながら、アスレジャースタイルに身を包んでいるような、(セレブの居住地として有名な)カラバサスで見かけるタイプの人々とは違う。私たちがいるのはアメリカ西海岸のどこにでもあるような町だ。 有名なワーナー・ブラザーズの給水塔から2kmも離れていないにもかかわらず、ここにいるのは控えめなスマートカジュアルを着た家庭人タイプばかりである。もちろん、皆それなりに裕福ではあるだろうが、虚栄心はどこにも感じられない。サイレント・ラグジュアリーとでも言うべきか。「丘の向こうは確かに見栄えがしますね」と、彼女は言った。 そういった見栄えのよさは、ダンストが名声の絶頂にあったときでさえ、決して追い求めようとしなかったものだ。トレンドや同業者の動向に流されたって、誰も彼女を責めることはなかっただろうに。 彼女にとってのキャリアの転機は、ロンドンのスーパーマーケット、ウェイトローズで訪れた。『スパイダーマン』が公開された直後、来店客から写真を撮らせてほしいと頼まれたときのことだ。「ああ、これまでの人生はここで終わるのかと思った瞬間でした」と、彼女は言う。「私にとって、あれは大きな変化でした」 しかし彼女は、自身が有名人として経験していることは、現代の若者のそれとは大きく違っており、そのことを幸運に感じているという。「今の若い人はもっとひどい体験をしています。誰もがスマートフォンを持っているせいで、自分らしく自由になることが難しくなっていますから。私はのびのびしていますが、彼らは自分のブランディングをとても気に掛けています。本当におかしなこと。顔にフィルターをかけたりしてね」 自身の見た目を変えようとする、周囲からの数々の横槍に抵抗してきたのがダンストだ。『スパイダーマン』の制作中には、プロデューサーが何の前触れもなく彼女を歯科医に連れて行き、歯の矯正を勧めたという。「私は『嫌です。自分の歯が好きだから』と言って断りました」と、彼女は振り返る。同作のロンドンプレミアでも、彼女は同じような体験をした。ダークな口紅を塗り、ロダルテの黒いパンキッシュなドレスに身を包んだダンストに対し、映画に出資したソニーが口を出したのだ。 「スタジオは『ゴスっぽすぎる』なんて言ってましたね。彼らはそれが気に入りませんでした。おそらく、劇場に足を運ぶ幅広い層にアピールできる、セクシーな若い女性のように私を見せたかったからでしょう」。彼女はそんなことを気にも留めなかった。「その女の子は私じゃない。私は決してそんなことはしませんでした」 ダンストは、そのような視線に対して逞しくなれたのは、90年代後半に『ヴァージン・スーサイズ』で彼女をキャスティングしたソフィア・コッポラのおかげでもあると話す。「私が16歳のときに会ったソフィアは、私のことをクールできれいだと思ってくれたんです。自分ではそう思ってなかったのにね。彼女は『あなたの歯が好き!』なんて言ってくれました」 尊敬するお姉さん的存在が彼女を見守ってくれて、『あなたはあなたのままで完璧』と言ってくれたことは、彼女に大きな影響を与えた。そうして、彼女は雑音を無視することができるようになったのである。 「当時は気づかなかったことです」と、ダンストは言う。「後になって、自分がどういう選択をしてきたかを振り返って気がつきました。歯並びを変えないとか、唇を厚くしないとか、皆がそうなりたいと思ってやることを私はしませんでした。今でも、自分の顔をいじって異様な見た目になるのは嫌だと思っています。わかりますか? 普通に年を取って、いい役をやりたいんです」 ■女性として業界に感じた不安 私は彼女についてリサーチをするなかで、『スパイダーマン』が公開される直前の00年代初頭に書かれた彼女のプロフィール記事を見つけた。そのライターは彼女のことを「未熟」で「くすくす笑う女の子」と呼び、映画に関する彼女の知識の幅を批判しているようだった。彼女は当時19歳だった。 ダンストはそのようなことを振り返ったりはしない。しかし、そんな彼女も当時の苦労は憶えている。女性についてそのような物言いをするのが当たり前に行われていた時代に、若い女性としてスポットライトを浴びることの困難だ。「今では俳優としてこの業界にいることを楽しんでいますが、以前は不安を感じていました。居場所がないような気がして」 撮影現場での嫌な出来事もあった。『スパイダーマン』の助監督は、撮影中ずっと彼女のことを「お嬢ちゃん」と呼んでいた。冗談のつもりだったが、ダンストにとっては腹が立つことだった。20年後、『シビル・ウォー』で同じ助監督と再び仕事をした彼女は、そのことを彼に問いただした。「あなたたちにああ言われて本当に嫌だった、とね。彼は『すまない』と言っていました。親しみを込めていたつもりだったそうです。でも、親しみは感じられないんですよ」 しかし彼女は、自身にとっての最悪の経験についてはあまり詳しく踏み込みたくないでいる。「映画の打ち合わせで、ある監督に不適切な質問をされたことがあります。でも、ネガティブな話を言いふらしたくありません」。そのとき、彼女はまだティーンエイジャーだった。「ご想像にお任せしますが、あれは私に降りかかった最悪の出来事でした」 彼女はすぐに母親に、名前を明かさないその監督とは仕事をしないと告げた。「何か嫌なことを我慢するなんて私はしません。大人になって、権力を濫用する人がいたときに、それをどう切り抜けるかを学ばなければ。でも、私は真に恐ろしい目にあったことはありません。変なことをするような人と部屋で2人きりになったようなことは」 困難はほかにもあった。彼女が頭角を現してきた頃は、俳優である女性がカメラの後ろに立つ機会などほぼなかった。シドニー・スウィーニーやマーゴット・ロビーが作品のプロデュースに積極的に関わり、金銭的に成功を収めている現在とは違ったのだ(ロビーは『バービー』だけでも5000万ドルを稼いだと言われているが、プロデューサーとしてのクレジットによるところが大きい)。 「『チアーズ!』のプロデュースができていたらと思います」と、ダンストは言う。彼女は俳優としてリスクを冒し、映画にスター性をもたらしたが、彼女にプロデュースを任せるという話はなかった。そのようなことは例がなかったのだ。「誰もそんなことは考えませんでした。でも、映画は大成功。もしやっていたら、その後に作られた続編でもプロデューサーができたのにね(注:最初の映画の成功によって、劇場公開されなかった6本の続編が製作されたが、そのどれにもオリジナルキャストは出演していない)。あのシリーズから今も何かを得ているわけではないんです」 それから20年余りが経ち、ダンストは映画ビジネスのあらゆる側面を見てきた。そのなかのどこに関わりたいか、関わりたくないかが彼女にははっきりしている。どういう映画に取り組みたいか、彼女には確固とした考えがあり、機会が舞い込むまで待つことも構わないでいる。「ポール・トーマス・アンダーソンと仕事がしたいですね。ジュスティーヌ・トリエとも。何か意味のあるものを作りたいと思っている映画監督と一緒に仕事がしたいです」 (このインタビューの3日後、ダンストはアカデミー賞の授賞式でトリエとタバコを吸っているところを撮影された。) 彼女はプレモンスとともに映画をプロデュースすることも計画している。ただし、仕事が生活に支障を来すことは許さないでいるという。「この業界はいい業界ではありません。私は自分の好きな人たちと一緒にいられるだけで満足です」 ■『シビル・ウォー』に漂うリアルさ キルスティン・ダンストは、表情で悲しみを表現する能力に長けている。多くの著名な監督が彼女の顔をフレームの中心に据えてきたのはそのためだろう。彼女にカメラを向ければ、観客に抱いてほしい感情を抱かせることができるのだ。 うつ病の花嫁を演じたラース・フォン・トリアー監督の『メランコリア』では、残酷なまでに輝きの失せた虚ろな目をしていた。戦場カメラマンのリーを演じた『シビル・ウォー』では、人間の闇を直視してきた人物ならではの憔悴しきった心が表現されている。私たちは、彼女が直接目撃した残虐行為のいくつかを目の当たりにすることになる。火を放たれる男、殺害される子どもたち、ダンプトラックいっぱいの死体が棄てられる様子──。ダンストは表情ひとつで我々に同じ感情を抱かせることができる。 監督のガーランドは、ダンストは自身の役に本当にその経験を生きてきたようなリアルな感覚をもたらしており、それはなかなかお目にかかれるものではないと話す。「誰もが彼女を子役の頃から知っているから、ひとつの人生を生きてきた人物という感じがするんです。彼女は見知らぬ風景の中にひとりで飛び込んでいきました。もちろん、戦場カメラマンとは違うというのは明らかですが、とても極端な体験だという点では同じです。彼女が存在してきた環境、そしてその環境の中で自己を保ち続けてきたことというのはね」 スクリーンの中からそれほどまでに深く感情を伝える自身の術について、ダンストはどのような洞察を持っているのだろうか? 「私が悲しい目をしているからかも。それか、嫌なことを目にしたことがあるからかもしれないし、素直じゃないからかもしれません」と、彼女は言う。「でも、私自身は悲しい人間ではありません。現実的ではありますけどね」 ガーランドの答えはもっと好意的だ。「魂を奥底に隠している人もいますが、キルスティンの場合はそれが手の届きやすいところにあるんです」 そんな共感性を高めようと、ダンストはこれまでにいくつかのことを試してきた。と言っても、そのなかにメソッド演技は含まれていない。「まさか、家に帰ったら子どもたちにあんな風に接するなんて。訛りのある口調で? 正直言って、それはできません。そんなことをする余裕があるのは男性だけのように思えます」 『シビル・ウォー』で、ダンストはアメリカを悲惨な戦場へと変えた紛争を追うジャーナリストを演じている。「この映画がこれほど恐ろしく衝撃的なのは、こんなことが起こりうるとは決して感じられないアメリカを舞台にしているからこそです」と、ダンストは言う。 そこに至った経緯はほとんど描かれないが、権威主義的な大統領(ニック・オファーマン)が権力を握り、FBIを解散させ、民間人に対するドローン攻撃を許可したことが示される。やがて、テキサスとカリフォルニア率いる抵抗勢力が革命を起こすと、リーと同僚たちは大統領とのインタビューを実現させようとワシントンへと向かう──。 この映画は、作品に生命を吹き込んだ不安感を払拭するようなことはしない。つまり、ファシズムの台頭と左派と右派の間で拡大し続ける溝が、私たちを破局へと向かわせているのではという不安だ。ダンストは初めてプレモンスと2人きりでこの映画を観たときのことを振り返る。「ただ衝撃を受けて、どうしていいかわかりませんでした」と、彼女は言う。「この映画はとてもリアルに感じます。間違った人々が権力を握るとどうなるかという警告か寓話のようです」 作品をさらに数段格上げしているのが、寡黙でサイコな兵士を演じたプレモンスの存在だ。彼はもともと『シビル・ウォー』に登場する予定ではなかった。しかし、ガーランドが考えていた俳優が土壇場で降板したとき、ちょうど「暇そうだった」というプレモンスが出演することになったのである。「私たち誰もが彼に助けられたと思いました」と、ダンストは言う。 『シビル・ウォー』はダンストとプレモンスにとって、ふたりが初めて出会った2016年のTVシリーズ『ファーゴ』、そして『パワー・オブ・ザ・ドッグ』に続く3度目の共演作となる。「『ファーゴ』の撮影現場での2週目、親友のひとりに『彼とはこれから一生の付き合いになりそう』と言いました」と、ダンストは言う。「私のソウルメイトだとね」 仕事場での出会いは幸運だった。「友達から始められますからね。最初から深い関係性ができるのです」 「私たちは一緒に仕事するのが好き。彼のことをとても尊敬しているし、彼も私を尊敬してくれています。いいバランス関係で、ごまかしもありません。どんな話でも、本音でぶつかることができるのです」 残念なことに、ここまで話してキルスティン・ダンストは頭痛がしてきたようだ。マルガリータはとっくになくなり、バーは親子連れでいっぱいになっていた。私は彼女にイブプロフェンを渡すと、彼女は2錠飲んだ。「自分のことを話していたら、文字通り頭が痛くなってきました」と、彼女は言う。「今日はセラピーも受けていたんですよ。喋りすぎみたい」 今の彼女は自分自身についての質問に答えるよりも、子どものお尻を拭くほうを好むようになってきているのだろう。しかし、最後に訊きたいことがあった。彼女がここまでに口にした、いくつかの事柄についてだ。映画製作者たちが彼女をタイプキャストしようとしてきたこと。そして、世間が彼女にまつわる物語をどのように咀嚼し、吐き出してきたか。彼女は、自身が誤解されていると感じているのではないだろうか? 「どうでしょう。誰でも人に対して自分の意見を持っていますから」と、彼女は言う。「それは私が考えることでもないし、気にすることでもありません。ほとんどの人は自分の感覚で物事を見ています。私はいつでも自分らしく生きてきましたし、それが人を混乱させているのかもしれません。私が自分を偽ることができないせいでね」 彼女がハリウッドの暗黙のルールを破るのも、最近のほとんどの映画はよくないと言うのも、誰だってお金のためにスーパーヒーロー映画をやっていると指摘するのもそのためだ。彼女は自分を偽りたくないし、偽る必要もない。 彼女は家に帰るのを楽しみにしている。親友の子どもたちと遊ぶ約束があるのだ。それでもこのインタビューは、彼女にとってしばしの間、家庭から離れるいい口実だった。「これは私にとってバケーションのよう。ここにいて、大人の会話ができるというのはね。『GQ』のインタビューという形だって何だって、私はその機会を受けます」 「私は大丈夫。わかっていただけますよね?」 ■キルスティン・ダンスト 1982年、米ニュージャージー州生まれ。3歳でモデル活動を始め、89年にアンソロジー映画『ニューヨーク・ストーリー』で映画初出演を飾る。ブレイク作となった94年の『インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア』で幼いヴァンパイアを演じ、ゴールデングローブ賞にノミネート。その後、『ヴァージン・スーサイズ』『チアーズ!』『スパイダーマン』シリーズ、『メランコリア』などで芸域を広げ、2021年の『パワー・オブ・ザ・ドッグ』でアカデミー賞に初ノミネートを果たす。最新作『シビル・ウォー アメリカ最後の日』で3年ぶりに映画に復帰。 From British GQ By Ben Allen Translated and Adapted by Yuzuru Todayama