父の置き土産 学校が軌道に乗った矢先、父病死 お見舞いに行くと…大声で「何で来るんだ!」とすごい形相
【フードコーディネーター・赤堀博美のおいしい秘密】 「父は優しい人でした。母の友達が来ると『炒飯でよかったら、すぐ作りますよ』とキッチンに立つので母はうらやましがられてましたね」 【写真】1969年の正月用の年賀写真。生家は大家族だった 「赤堀料理学園」(東京都文京区)の6代目校長でフードコーディネーターの赤堀博美は父・有宏と仲がよかった。 「父は日々の出来事や私たちへの思いを、事細かに書き留めてくれていて…」という大学ノートには、育児の日々がぎっしり書き込まれていた。ちゃんときょうだい3人分ある。愛情豊かだった。 父との一番の思い出は「八丈島で、釣った魚を一緒にさばいた。あれは楽しかったな」。 ところが1972年、小学1年生の春に父は突然入院。学園を学校法人にし、改革が軌道に乗ってきた矢先だった。 「お見舞いに行くと、大声で『何で来るんだ!』って。すごい形相でビックリしました。弱った姿を見せたくなかったのかな。病名は伏せていましたが、ガンで…。頭のいい人だから察知してたのかもしれません。2カ月で亡くなりました。しばらくは現実が受け入れられず、夜中に夢遊病みたいに家のあちこちをふわふわと歩き回って…」 母・千恵美が5代目校長を引き継いだとき、しかと言われた。 「これからはあなたが妹と弟の面倒を見なさい。何か起きたらあなたの責任ですよ」 母は日本テレビ「3分クッキング」のレギュラーに。学園の教場にも毎日立ち、レシピを考え、雑誌の料理撮影…と忙しい日が続く。 「ちゃんとしなきゃと思いました。お手伝いさんがいい方でお母さんみたいでありがたかったです。じいやは主に弟の面倒をみてくれてました」 母が出掛ける前にテープレコーダーに帰宅時間などを吹き込んだメッセージを聞いたり、「レンジの時間は何分」といった連絡事項を書いた手紙を読んだりして行動。自分たちも手紙で日々のあれこれを伝えた。 キッチンでは電子レンジが大活躍。家庭用が発売される前から業務用を導入し、母は解凍や調理の時間、上手な調理方法などの実験を企業と繰り返し、講習会もしていた。 子供との時間を多く持とうと、母は76年に「子供料理教室」を開始。赤堀が4年生のときだ。料理が自然に身に付いていく。きょうだい仲良く頑張る毎日が続いた。 (原納暢子)
■赤堀博美(あかほり・ひろみ) 1965年、東京都生まれ。「赤堀料理学園」6代目校長。管理栄養士、日本フードコーディネーター協会常任理事。日本女子大学・大学院で食物栄養学を専攻。修了後、学園の副校長を務めつつ、フードコーディネーターとしてTVドラマ、料理番組やCM、食品メーカーのメニュー開発などを数多く担当。講習会や出版物で栄養指導も。食育や高齢者食の研究にも尽力。