寺越武志さん、髪白く頬こけ 6年半ぶり近影、金沢の妹に届く 北朝鮮から「元気でおれよ」と電話も
1963年に日本海で行方不明になり、北朝鮮で暮らす寺越武志さん(75)=志賀町出身=の写真と動画が、金沢に暮らす妹(72)の元に届いたことが30日分かった。家族が武志さんの姿を確認したのは、今年2月に92歳で亡くなった母友枝さんが2018年4月に訪朝して以来6年半ぶりとなった。武志さんは白髪で以前より痩せた様子が見られるが、妹に掛けた電話で「元気にしとるし、お前も元気でおれよ」と伝えたという。 【動画】家族の支援に感謝する寺越武志さん ●朝鮮総連関係者が写真、動画撮影 妹によると、写真と動画は9月末に訪朝した在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)の関係者が撮影した。動画には武志さんが「受け取りました」と述べ、妹の支援に感謝する様子が収められていた。合わせて写真も撮られたとみられる。今月22日、妹の元へデータが届けられた。 これまで妹の手元にあった最近の武志さんの写真は、18年に友枝さんが訪朝した際に一緒に納まった一枚だった。高齢の友枝さんはこれが最後の訪朝になったため、以降、妹は武志さんの様子を確認することができなかった。 18年の時点では、武志さんは恰幅(かっぷく)がよく、髪は黒々としていたが、現在は頬がこけ、髪の毛は真っ白になっていた。妹は「久しぶりに兄貴の顔を見て安心した」と安堵。一方で「母の死に目に会えず、悔しくてつらかったんやろう」と心中を察した。 妹の元に写真と動画のデータが届いた22日には、武志さんから今年3月以来の電話も掛かった。武志さんは元気であることを伝えた上で「今度会いましょう」と告げたという。 友枝さんは22年12月末に体調を崩して入院し、今年2月25日に亡くなった。朝鮮総連を通じて訃報を知った武志さんは3月5日、妹に電話を掛けて「苦労を掛けて申し訳ない」と悲しみを口にした。 友枝さんは生前、中国と北朝鮮の国境を流れる川「鴨緑江(おうりょくこう)」を「もう一度渡りたい」と繰り返し、武志さんとの面会を望んでいたという。妹は「何としても母の遺骨と一緒に鴨緑江を渡り、兄貴の腕に抱かせてあげたい」と話した。 ●電子版で動画 北國新聞電子版「北國新聞デジタル」では、寺越武志さんの妹に届いた武志さんの動画を視聴できる。 ★寺越武志さん 13歳だった1963(昭和38)年5月11日、高浜町(現志賀町)の高浜港から叔父の昭二さん=当時(36)=、外雄さん=同(24)=とともに出漁し、行方不明となった。船は翌12日に能登沖で漂流しているのが見つかった。死亡したとみられていたが、87年1月、外雄さんから、武志さんと北朝鮮で生存しているとの手紙が家族に届いた。同年9月、訪朝した母友枝さんと24年ぶりに再会。2002年10月に一時帰国した。