宮藤官九郎が語る、役者に対する思いと“笑い”にこだわる理由 「全部コメディと思ってる」
宮藤官九郎はなぜ「笑い」にこだわるのか?
ーー今回は役者さんの表情がすごく印象に残りました。 宮藤:やっぱり役者が褒められるのが一番うれしいですね。自分が役者で小劇場の人間だからというのもありますが、役者のお芝居が好きなんですよ。だから現場に行くと、役者の芝居しか見れなくなって、カット割りとか正直、どうでもよくなって、せっかく撮ったいい芝居が、カットが繋がらないせいで捨てなきゃいけなくなるので、どういうシーンを撮るかは事前に準備するようにしています。 ーー第2話で、タツヤ(仲野太賀)の義父・アキオ(戌井昭人)が登場する場面で、「怒ってるでもなく、悲しいでもなく、今初めて会う人を見るようなその目付き」というタツヤの台詞といっしょに、あの表情が出てきたことに驚きました。 宮藤:あれは凄いなぁと思いました。戌井さんは『季節のない街』の原作小説がすごく好きで思い入れがある方で、一回舞台化したこともあったそうです。あの場面は小説にもあるのですが、どんな目するんだろうと思ったら、本当にそういう目をしているから(笑)。 ーーナレーションだけ聞くと「どういう表情?」って思うのですが、これしかないっていう表情なんですよね。第1話で六ちゃん(濱田岳)が、線路の前に立った時の不安そうな表情もそうでしたが、今回は役者の表情が全部良いなぁと思いました。表情って演技指導できるものなんですか? 宮藤:六ちゃんは濱田岳くんが『どですかでん』を観てなくて、想像で演じているのがすごく良かったので、「映画は観ないでください」と言ってやってもらったのですが、そのシーンの六ちゃんの気持ちを説明したら出てきた自然な表情です。やっぱり役者は顔で選んでますね。藤井(隆)さんが演じる島さんの「けけけふんと鼻へ抜けるのだ」という顔の描写も小説にあるものなんですよ。あれを読むと役者はどうやろうかと考えるので、現場でその都度話し合って、「それだとやりすぎてます」とか、「もうちょっと自然に」と言って表情を微調整しました。でも、面白いからやりすぎてるものを採用しちゃうんですよね。『どですかでん』の伴淳三郎も、見方によっては明らかにふざけてるだろうっていう、びっくりするような表情になっていて、面白いですもんねぇ。 ーー原作小説と『どですかでん』は、ベースにあるのは悲劇で、はじめは悲しくて辛いと感じるのですが、繰り返し作品に触れていると「もしかしてこれはコメディなんじゃないか?」と笑ってしまう瞬間があるんですよね。逆に宮藤さんの『季節のない街』は、はじめから明るいトーンで進むのですが、途中から少し怖くなってきて、「これは笑っていいのだろうか?」と思いつつも、「面白いけど悲しい」「悲しいけど面白い」みたいな変な気持ちになるんですよね。 宮藤:原作のアプローチとは逆かもしれないですね。山本周五郎が笑かそうとしているとは思わないけど、ついつい笑ってしまう瞬間があって、俺はむしろ笑かそうとしている。3.11から12年経って、震災を題材にコメディを作った人は流石にまだいないと思うんですけど、バランスとしては絶対に「笑い」が必要なので、第3話の皆川(猿時)くんの擬人化した猫はギャグだし、笑って観られるけど、違う見方をしたらすごくかわいそうな話だなぁとか、すごく問題提起をしていることに、皆さんが気づいてくれたらいいやって感じですかね。 ーー観ている側の感情を一つの方向に誘導しようとしていない感じがしたんですよね。 宮藤 そっちに誘導するためにこのギャグを自粛しようという発想がないんですよね。このギャグを止めずにこっちに誘導したいとか、このギャグを最終的にギャグでなく回収したいとか。そういう思いがどこかにあるから、どっちかに軸足を置けないんだと思います。 ーー宮藤さんの作品はコメディというか「笑い」の要素が必ずあると思っていて。「笑い」にすることが難しい題材をどうやったら「笑い」にできるか? という難題にずっと挑んでいると思うんですよ。『木更津キャッツアイ』(TBS系)の難病モノ、『いだてん~東京オリムピック噺~』(NHK)のオリンピック、そして今回は仮設住宅で暮らしている人たちの物語を、どう「笑い」にできるかという難しいことに挑戦している。どうしてここまで「笑い」にこだわるのでしょうか? 宮藤:なんででしょうね。エッセイに何度も書いたことですけど、東日本大震災の後で被災地に行った時に、こっちが「頑張ってください」と言ったら失礼だよなぁ、辛気臭い顔はしたくないけど、かと言ってニヤニヤするのは違うし、といろいろ考えたのですが、現地でおばちゃんが「Tシャツにサインしてくれる?」と頼まれて、サインしようとしたら「ここは午後からEXILEの人が来るから空けといてくれ」って言われた時の「ああいいんだ、笑っても」っていう感じですよね。この人たちも「そりゃEXILEのサインが欲しいもんなぁ」っていう、本当に思っていることが出ちゃう瞬間を見逃したくないというか、そういう感情があるということを否定したくなくて残したいから、こういう話をやっているのかもしれないです。池松(壮亮)くんが演じている家族を亡くした半助が、悲壮感のある振る舞いを求められて、そういうふうにしか振る舞えなかったのが、たんばさん(ベンガル)に「大変だったのは、あんただけじゃないしね」と言われて、やっと「あぁよかった」ってなる感じとか、そういう部分を排除したくないのかもしれない。だから程度の違いはあっても全部コメディと思っているのかもしれないですね。 ーー今回は、これ以上やると笑えなくなるというギリギリのところに踏み込んでいたと思うのですが「ここまでは笑える。これ以上やると笑えない」という線引きはどういうふうに決めているのですか? 宮藤:やりすぎて違うものになっている時は注意して「もうちょっと抑えて」と言いますけど、今は役者さんも、いきなり全くの不正解を出してくる人はいないので、まずは好きなようにやってもらって、そういうふうにやりたいのだったら、ここはもう少しこうした方がいいですねという言い方をします。それで行き過ぎて不謹慎だなぁとなったら「それやめましょうか」(笑)という節度はあります。 ーーその都度、その都度、調整していく。 宮藤:まずは全部一回やってくださいって感じですかね。全部やってもらった上で編集でどっちに持っていこうかなぁと考えます。音楽もなるべく誘導しないようにしていて、大友(良英)さんが、メインテーマを最初に作る時に「ガッチャッガチャうるさいけど、結果、何も言ってないみたいな曲を目指しました」って言われて、「あっ、確かにそうだわ。“うるさいけれど何の感情にもならない”、それはありそうでないから、いいなぁ」と思いました。 ーー最後に、これから深夜ドラマで観る人に一言お願いします。 宮藤:配信だったので観られなかったという方も、今回はTVerの配信もありますので、好きな時間に観てほしいです。まぁ、とりあえず第1話観てもらえないですかねって感じで、第1話を観て、第2話も気になったら観てほしいです。みんな役者がいいので、1話完結だと思って、どの回を観てもいいので観てもらったら、好きになってもらえるんじゃないかと思います。
成馬零一