京王線&新線はなぜ“複雑な関係”なのか 「新宿‐笹塚」がややこしすぎる!地下に眠る旧駅ができたワケ
「完成わずか14年の地下駅」をなぜ放棄したのか
初台駅はホームがあったのに通過することになったのは、なぜなのでしょうか。京王新線が開業した1978(昭和53)年時点で、旧初台駅は完成から14年しかたっていませんでした。今であれば、2010年頃にできた駅を使用停止にするような話です。 しかし京王にとって、この14年には大きな断絶がありました。1961(昭和36)年に着工した新宿駅と初台駅の地下ホームは有効長110m、最大で18m車両6両編成に対応していました。ところが高度成長のもと、旅客需要は想定をはるかに上回るペースで増大していきます。 京王線の車両は1両が18mから20mへと大型化し、編成も最大6両、7両、8両に。これに伴い有効長110mの京王線新宿駅は、ホームと線路のレイアウトを変更して20m車両8両編成の入線を可能にするなど苦肉の対応を迫られました。各駅停車のみ停車する初台駅は当面、問題はないものの、いずれはネックになります。 1969(昭和44)年に京王と東京都交通局が交わした地下鉄10号線(都営新宿線)の相互直通基本協定にホーム有効長は210m(20m車両10両)とあることからも、すでに将来的な10両化を想定した計画を立てていました(1996年に全駅10両化完了)。無理に初台駅を改造するならば、京王新線に役割を譲ろうというのは自然な発想だったでしょう。 もうひとつは複々線化計画における位置づけです。京王線は元々、新宿から相模原線と分岐する調布までの約15kmを複々線化したいと考えていました。これに地下鉄10号線直通計画を組み合わせ、新宿~笹塚間は路線別複々線、笹塚から外側が急行線、内側が緩行線の高架式方向別複々線とする計画でした。 具体的には不明ですが、例えば笹塚から先、明大前、桜上水、千歳烏山などは2面4線、それ以外の駅は八幡山のように1面2線を通過線が挟むレイアウトになったのでしょう。笹塚駅は外側に京王線、内側に京王新線が入ります。そのまま延長して考えれば、新宿~笹塚間も京王線が急行線、京王新線が緩行線となるため、後者のみ初台、幡ヶ谷駅を設置したのも自然な流れです。 京王は現在、笹塚~仙川間約7.2kmの高架化(連続立体交差事業)を進めていますが、都市計画上は高架線と、高架線直下に設けられる笹塚~つつじヶ丘間の地下急行線からなる複々線化事業であり、高架化はその一環との位置づけです。 ただ地下急行線の事業化の目途は立っておらず、京王の事業説明も「複々線」に一切触れていません。地下急行線は途中駅にホームを設置しない想定なので、コロナ禍以降ますます都心側にシフトする旅客需要とはミスマッチです。京王の「急行線」は、初台と幡ヶ谷のみ通過する形で当面、残り続けるのではないでしょうか。
枝久保達也(鉄道ライター・都市交通史研究家)