聖武天皇の大嘗祭、平城京に烏賊・干鰒・梨子・栗など山海のグルメ…木簡の荷札で判明
平城京跡(奈良市)で今年2、3月に大量出土した木簡の調査で、天皇の皇位継承儀式「大嘗祭(だいじょうさい)」に用意する物品として、平安時代の法令集「延喜式」に記述がある「烏賊(いか)」や「干鰒(ほしあわび)」など約20種類の荷札が確認された。奈良文化財研究所が2日発表した。奈良時代の大嘗祭に関する資料は乏しく、木簡群が当時の儀式の詳細を考える上で貴重な資料になるという。 【写真】これは貴重…平城宮跡から出土した「烏賊」の文字が記された木簡
奈文研は、平城京跡の朱雀門付近で3月まで発掘調査し、2600点以上の木簡を発見。この中から、724年にあった聖武天皇の大嘗祭の貢ぎ物に付けたとみられる「大嘗」と書かれた木簡を初めて確認した。
今回の木簡群も同じ穴から出土したもので、洗浄作業の結果、「梨子(なし)」「栗」などの文字も確認した。地方から都へ送る際に付けられたと考えられる。
延喜式には大嘗祭の規定があり、神への供え物として海産物や果物などの記載がある。木簡に書かれた物品はそれらと一致しており、延喜式の条文の基となる規定が、聖武天皇の時代まで遡る可能性がある。
また、荷札や付け札とわかる約180点のうち、備中国(現・岡山県西部)から送られたとみられる木簡が約120点あり、同国内にあった9郡の地名が全て記されていた。他に国名のわかる木簡は現時点で、安房国(現・千葉県南部)や周防国(現・山口県南東部)しかなく、奈文研の山本崇・歴史史料研究室長は「なぜ備中国に集中しているのか、検討する必要がある」と話している。
渡辺晃宏・奈良大教授(日本古代史)は「これだけ一国に集中して、数多くの品目の木簡が出た例はなく、国を挙げて大嘗祭に関わったことを示している。これまで注目されてこなかった備中国をどう理解するかが、今後の課題だ」と話している。