前年までの僅差が嘘のよう。GTS-RからGT-Rになった途端に驚異的なタイムを叩き出すスカイライン
80年代、自他共に認める「レースの日産」は、グループA/Cとメーカーの真価が問われるレースで苦境に立たされていた。とくにメーカーの看板を背負う量産車ベースのグループAは、R30・RSターボ、R31・GTS-Rが大苦戦。だからこそ満を持して登場したGT-Rが送り出された。しかし、その活躍は予想以上。GT-Rは帝王だった。 【画像16枚】車両がGTS-RからGT-Rに変わった途端に驚異的なタイムに 【国内モータースポーツの隆盛 特別編】 GT-Rデビュー年の90年、そのインターTECで星野が見せた速さは圧巻だった。星野は、前年の同レースでポールポジションを獲得していたが、その時のタイムは1分35秒069。2番手はシエラで、その差はわずかに100分の24秒と僅差だった。 それが1年経ち、車両がGTS-RからGT-Rに代わったとたん、タイムは一気に縮まった。やはりポールポジションは星野だったが、叩き出したタイムは1分31秒309と壮絶。前年から4秒も縮まっていた。1分30秒台で周回するコースの4秒短縮と、2分で回るコースの4秒短縮とでは、速さの質、意味はまったく異なってくる。星野のタイムは驚異的だった。 ちなみに、この時シエラ勢の最速タイムは1分34秒667。89年から0.6秒ほど速くなったが、これは順当な伸び分と見てよく、4秒も速くなったGT-Rの実力は異常だった。 初出:ハチマルヒーロー2017年1月号 vol.39 (記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)
Nosweb 編集部