没後10年となる高倉健主演作『君よ憤怒の河を渉れ』&『野性の証明』が4Kに!稀代の映画スターの足跡をたどる
今年11月10日(日)に没後10年を迎える映画スター、高倉健。その主演作『君よ憤怒の河を渉れ』(76)と『野性の証明』(78)の4Kデジタル修復 Ultra HD版パッケージが、それぞれ12月13日(金)と11月8日(金)にリリースされる。 【写真を見る】生き残りの少女、長井頼子役で薬師丸ひろ子が映画デビューを果たした『野性の証明』 高倉は1956年に東映の新人俳優として映画デビューし、遺作『あなたへ』(12)まで205本の作品に出演した。だが、彼が1960年代から70年代初頭にかけて一世を風靡した、“東映の任侠映画スター”のイメージをその後も背負い続けていたら、いまに語り伝えられるレジェンド俳優にはなっていなかっただろう。彼が名優への階段を上り始めたのは76年に東映を辞め、様々なジャンルの作品にチャレンジするようになってからだ。 ■中国で人気を博すきっかけとなった『君よ憤怒の河を渉れ』 その東映退社後の第1作が、佐藤純彌監督による『君よ憤怒の河を渉れ』である。西村寿行の小説を原作に、殺人の濡れ衣を着せられた高倉扮する検事が、逃避行を続けながら真犯人を追って北海道まで向かう姿を、中野良子演じる牧場主の娘とのラブロマンスを絡めて描くアクション巨編である。 この作品は国内以上に、文化大革命終了後の1978年に中国で上映された初の外国映画として注目を集め、高倉とヒロイン役の中野は、中国で国民的人気を得た。その後も『幸福の黄色いハンカチ』(77)、『遙かなる山の呼び声』(80)と、高倉が山田洋次監督と組んだ作品が中国で上映され、彼は中国人が最もリスペクトする日本のスターになっていった。 その高倉のファンの1人が、若いころに『君よ憤怒の河を渉れ』を何十回も観たというチャン・イーモウ監督。彼はいつか高倉の映画を作ることを夢見ていて、その想いはのちに高倉主演の『単騎、千里を走る。』(05)を監督することで結実する。 ■高倉だからこそ演じられた!『野性の証明』の特殊部隊や戦車にたった1人で立ち向かう元自衛官 高倉のフィルモグラフィに話を戻そう。明治期に多数の死者を出した陸軍の雪中行軍訓練の全貌を描いた大作『八甲田山』(77)、北海道を舞台に妻への愛を胸に秘めた男の旅を描いた『幸福の黄色いハンカチ』の2作品で、第1回日本アカデミー賞最優秀主演男優賞に輝いた高倉は、任侠映画というジャンルを超えた、日本映画を代表するスターとしての地位を確立した。 そして次に彼が挑んだのが、当時の日本映画界に旋風を巻き起こしていた角川映画の第3弾『野性の証明』への出演だった。東北の寒村で起こった大量殺人事件の真相を知る元自衛官の味沢が、国家権力によって命をねらわれるサスペンスアクションである。 特殊部隊や戦車に、たった1人で立ち向かっていく味沢は、高倉が演じるからこそ説得力を持つキャラクターだった。また味沢と疑似父娘の関係になる少女役で、薬師丸ひろ子が映画デビュー。クライマックスにおける米カリフォルニア州のキャンプ・ロバーツでロケを行った軍隊が味沢に押し寄せる映像もスケール壮大で、21憶8000万円の配給収入を叩きだすヒット作になった。 ■高倉の俳優人生を決定づけた『駅 STATION』 その後も吉永小百合と初共演して、二・二六事件に加担する将校を演じた『動乱』(80/東映オンデマンドで配信中)、当時の日本映画の興行記録を塗り替えた配給収入59億円の大ヒット作『南極物語』(83)などの大作で存在感を示したが、その間に作られた『駅 STATION』(81)は、以降の高倉の俳優人生を決定づけた作品と言える。 『駅 STATION』は脚本家の倉本聰が、高倉へのプレゼントとして送った「駅舎」というタイトルの脚本が元になっている。北海道を舞台に刑事の三上と3人の女性との触れ合いが描かれていく人間ドラマだ。その監督に起用されたのが、降旗康男。降旗と高倉は東映時代に11本の映画でコンビを組んだが、そのほとんどがやくざ映画だった。 高倉の東映退社後は別の道を歩んでいた2人だが、やはり倉本脚本の『冬の華』(78/東映オンデマンドで配信中)でコンビが復活。『駅 STATION』には、『八甲田山』で高倉を足掛け3年にわたって撮り続けたキャメラマンの木村大作も加わり、ここから高倉、降旗、木村のゴールデントリオによる映画が生まれていく。 山口瞳の同名小説が原作で居酒屋の店主を演じた『居酒屋兆治』(83)、このトリオが中心となって立ち上げた会社、グループ・エンカウンターが企画し、元やくざの漁師に扮した『夜叉』(85)、向田邦子による名作ドラマのリメイクで友人の妻に想いを寄せる会社社長を演じた『あ・うん』(89)。降旗監督の演出と木村キャメラマンの映像美を得て、1980年代の高倉は意欲的にそれまで演じたことがない役に挑戦していった。 ■『ブラック・レイン』でハリウッド映画にも出演 一方でリドリー・スコット監督のハリウッド映画『ブラック・レイン』(89)にも出演。殺人犯を追ってニューヨークからやって来た2人の刑事に協力する大阪府警の松本刑事を演じている。また、この映画は殺人犯に扮した松田優作の遺作にもなった。 1990年代に入って、ハリウッド映画『ミスター・ベースボール』(92)、市川崑監督と初のタッグを組み、大石内蔵助を演じた『四十七人の刺客』(94)と、映画の出演作を絞っていった高倉だが、1999年に降旗&木村とのゴールデントリオが復活する。 ■高倉健から次世代へのメッセージが込められた『鉄道員(ぽっぽや)』に『ホタル』 それが浅田次郎の直木賞受賞作を映画化した『鉄道員(ぽっぽや)』(99/東映オンデマンドで配信中)。北海道の終着駅を舞台に、定年間近の老駅長が、ある夜に奇跡と遭遇するファンタジー作品だ。妻を大竹しのぶ、娘を広末涼子が演じたこの映画は、配給収入20億5000万円の大ヒットを記録。時に高倉健68歳。人として映画人として、次の世代へ語り継いでおくべきことを考える年齢に差し掛かる。 そして彼が企画を立ち上げたのが、生き残った特攻隊員とその妻の戦争への想いを描く『ホタル』(01/東映オンデマンドで配信中)である。実在した“特攻隊員の母”と呼ばれた女性や、朝鮮人の特攻隊員がいた事実も入れ込んだこの映画には、日本人には忘れてはいけないことがあるという彼のメッセージが込められている。生前の降旗監督に話を聞いた時、「『ホタル』だけは、健さんがいなかったら生まれていなかった映画です」と言っていた。 晩年の2作品、『単騎、千里を走る。』と『あなたへ』は主人公が旅の空で様々な人と触れ合うロードムービーで、演じたキャラクターには人間的な柔らかさがある。そこには東映の任侠映画スターの時のような、権力に立ち向かう孤高のヒーローの姿はない。次の世代へ、人が人を想うことの大切さを遺して、高倉健は人生という旅を終えたのである。 文/金澤誠