「すでに大きくなった名前を使った方がいい」...世襲政治家が票をあてにするのと同じ、簡単に有名になれる《革新的》戦略
1960年代ストリップの世界で頂点に君臨した女性がいた。やさしさと厳しさを兼ねそろえ、どこか不幸さを感じさせながらも昭和の男社会を狂気的に魅了した伝説のストリッパー、“一条さゆり”。しかし栄華を極めたあと、生活保護を受けるに至る。川口生まれの平凡な少女が送った波乱万丈な人生。その背後にはどんな時代の流れがあったのか。 【漫画】床上手な江戸・吉原の遊女たち…精力増強のために食べていた「意外なモノ」 「一条さゆり」という昭和が生んだ伝説の踊り子の生き様を記録した『踊る菩薩』(小倉孝保著)から、彼女の生涯と昭和の日本社会の“変化”を紐解いていく。 『踊る菩薩』連載第92回 『「なんで今さら初代について書くんですか?」...”2代目”一条さゆりが”昔のストリップシーン”を掘り返されたくなかったワケ』より続く
ジプシー・ローズか一条さゆりか
萩尾がストリッパーとなったのは86年である。出演したのは東京・新宿2丁目の小劇場、モダンアートだった。ここは67年、喜劇役者の益田凡児が社長になってオープンし翌年、寺山修司主宰の天井桟敷が公演するなど、アングラ演劇の拠点ともなっていた。 萩尾のデビューにあたり、劇場側は当初、ポルノ女優である点を大宣伝しようと考え、「萩尾なおみ」の名のまま舞台に出るよう求めた。 一方、萩尾は「2代目一条さゆり」の名で出られないかと考えた。ただ、この名に特別な思い入れがあったわけではない。 「ジプシー・ローズか一条さゆりかなと思ったんです」
すぐに話題になれる
連載第33回で紹介したように、ジプシー・ローズはストリップの第1期黄金時代を支えた踊り子である。 「大きな名前だったら、すぐに話題になるでしょうから」 萩尾は自分をプロデュースする感覚を持ち合わせていた。 日本に「芸名権」という権利はない。その意味では、誰でも「美空ひばり」や「石原裕次郎」を名乗れる。事務所が商標登録しない限り、誰もがその名を使用できる。 ただ、その名を大きく育てるため、おカネを使ってきた事務所にしてみれば、稼げるようになった途端、その看板を勝手に使われたのではたまらない。最近、タレントが事務所を移籍する場合に、その名の継続使用を認めないケースが出ているのもそのためだ。 歌舞伎や落語の場合、襲名方法が確立されており、それぞれの世界で認められる限り、名前の継承は話題にこそなっても問題にはならない。
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