若々しい人・老け込む人「休日の過ごし方」の違い 不安定な社会、「休養」が注目される納得理由
■ジャーナリストは不健康な無頼派だった 「休養」が注目されているのは、この15年ほどで健康に対する意識が非常に高まってきたことと関連するのではないかと思います。 15年ほど前、日々の生活を聞かれて、朝6時半に起きてジムに行っていると答えたら、「えっ、ジャーナリストなのにジムに行くんですか?」と笑われたことがありました。 その頃は、ジャーナリストと言えば、遅くまで飲み屋で酔っ払って殴り合いしているというような無頼派のイメージがあったのでしょう。それが、「それじゃ体を壊すだけで、何もいいことはないよね」と変わってきた。これには、終身雇用による安定性がなくなってきた影響が大きいのではないかと考えています。
最近よく、昭和の時代とは何だったのかということを考えています。映画という切り口で見ると、昭和は、とにかく「脱出モノ」の映画が多いのです。 終身雇用のサラリーマンが多く、社会は安定しているが、組織のヒエラルキーが存在し、抑圧も強い時代でした。だからこそ「そんな社会からどう脱出するか」ということをテーマとした作品が増えた。歌謡曲にも「遠くへ行きたい」という歌詞がよくありました。 つまり、現状が安定しているからこそ、脱出できる。ヤクザ映画がはやったのもそこに理由があります。社会が安定しているからこそ、アウトローへの憧れが生まれていたわけです。ジャーナリストが無頼派と見られていたのもこの影響でしょう。
■多様性が進む一方、不安を抱えて健全志向へ 時代が変わって、今は風通しがよくなり、多様性も進んで、抑圧がかなり薄まりました。一方で、社会そのものが不安定になり、誰もが、自分の居場所がはっきり定まらないという不安を抱える時代になってもいます。 そういった社会では、人々がアウトローに憧れなくなります。映画やアニメも「脱出モノ」ではなく、「仲間モノ」「つながり」といったテーマが増えました。 自分の足元がどうなっているのか、しっかり固めたいという所から、健康で健全な生活を維持していきたいという意識が生まれ、健康志向の高まりが始まったと考えられるのです。
20世紀的な身分が安定していた世界は、高度経済成長期の副産物だったと考えるならば、そんな世界はもう二度と来ないとも言えます。どんどん多様性が進む一方で、このポスト近代社会においては、足元の不安定さは永久になくならないでしょう。 そうなれば、やはり、ますます健康に気を使うようになるということになります。そういった意味でも、今後「休養学」は、ますます注目されるテーマになるでしょう。 (構成:泉美木蘭)
佐々木 俊尚 :作家・ジャーナリスト