まるで本物の「銀河鉄道」 めがね橋を駆け抜け…僕が恋した〝SL銀河〟に「ありがとう」
「イーハトヴは一つの地名である」「ドリームランドとしての日本岩手県である」。詩人・宮沢賢治が愛し、独自の信仰や北方文化、民俗芸能が根強く残る岩手の日常を、朝日新聞の三浦英之記者が描きます。 【画像】まるで本物の「銀河鉄道」 めがね橋を駆け抜けた「SL銀河」の軌跡
JR釜石線を走り続けてきた蒸気機関車
漆黒の闇夜の中を、青い光に照らされた1台の蒸気機関車が、真っ白な蒸気を巻き上げて半円が連なるアーチ橋を渡っていく。 東日本大震災の復興を祈念し、2014年からJR釜石線を走り続けてきた蒸気機関車「SL銀河」。 昨年6月11日夜の最終運行で、蒸気機関車が岩手県遠野市にある「めがね橋」(正式名称・宮守川橋梁、全長107メートル、高さ約20メートル)に差し掛かると、詰めかけた数千人の地域住民や鉄道ファンから大きな歓声がわき起こった。 地元の市民団体「宮守銀河まちづくり協議会」の八重樫正昇会長(77)は、涙ぐみながら「ありがとう」と書かれた横断幕を揺らした。
「銀河鉄道の夜」のモデルと伝えられ…
1943年竣工(しゅんこう)のめがね橋はかつて人里離れた場所にあり、地域でもあまり知られていなかった。 ところが、1970年前後に付近に国道が整備され、詩人・宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」のモデルになったのではないかと伝えられるようになると、多くの観光客が押し寄せるようになった。 周囲の木を伐採し、環境保全に取り組んだ。 そして震災。自治会長として住民の安否確認を終えた後、慌てて様子を見に行くと、なんとか無事に立っていてくれていた。 「賢治さんが見守ってくれたお陰かな、と思わず手を合わせて感謝しました」 最終運行の夜。シュッシュッシュッと聞き慣れた蒸気音が近づき、汽笛を鳴らした。 見慣れた景色が涙でにじむ。 「素晴らしい。まるで本物の『銀河鉄道』を見ているみたいだ……」
500本の運行を撮影、写真集を刊行
花巻市の元職員、浅沼和明さん(72)も「SL銀河」に魅せられた一人だ。 2013年に定年退職後、医師に血糖値の高さを指摘され、「健康のために歩かなければ」とカメラを始めた。 直後に運行を開始した「SL銀河」に魅了され、507本の定期運行のうち、親が亡くなった週と新型コロナにかかった週以外は現場に通い、計約500本の運行を撮影した。 昨年5月、写真集「銀河の軌跡―僕が恋したSL銀河」を刊行し、完売。今年4月刊行の続編も残りわずかだ。 「SL銀河だけを被写体とした写真集は珍しい。多くの鉄道ファンが今もSL銀河を求めている証しだと思う」 写真集をめくりながら懐かしむ。 「宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』に登場する星座や動物がデザインされている青い客車も良かった。トーンが異なる8色の青を塗り分けることで、夜が明け、朝へと変わる空を表現していた」 (2023年6月、2024年5月取材) <三浦英之:2000年に朝日新聞に入社後、宮城・南三陸駐在や福島・南相馬支局員として東日本大震災の取材を続ける。書籍『五色の虹 満州建国大学卒業生たちの戦後』で開高健ノンフィクション賞、『牙 アフリカゾウの「密猟組織」を追って』で小学館ノンフィクション大賞、『太陽の子 日本がアフリカに置き去りにした秘密』で山本美香記念国際ジャーナリスト賞と新潮ドキュメント賞を受賞。withnewsの連載「帰れない村(https://withnews.jp/articles/series/90/1)」 では2021 LINEジャーナリズム賞を受賞した>