<南部さん本日通夜>「喪服厳禁!できるだけ派手な服装で参列ください」奇抜な服装、コスプレ、恐竜も弔問に乱入!50年来の友人・名物レポーターが“南部ちゃん”の奇人変人ぶりを偲ぶ「最後のLINEは“エスパー無くなったよ”でした」
今はただ寂しい、でもそのうち会えるから
中村さんは一度、「電撃ネットワーク」の海外ネーム「TOKYO SHOCK BOYS」のライブをニューヨークでで見たことがあるという。 「ロケでたまたまNYにいたときに『TOKYO SHOCK BOYS』のライブをやってるのを知り、チケット買って観にいったんですよ。いろんなネタをやってドッカンドッカンとバカウケしてるのを見て、大したもんだなーって思いました。その後、僕がニュージーランドの山奥の村にロケで行ったときに、そこの住人から“お前は『TOKYO SHOCK BOYS』を知ってるか?”と聞かれたときは、なんというかもう、感無量でしたね」 「南部ちゃんの思い出話は尽きない」と語る中村さんだったが、昨年、ふとしたときにこんな会話をしたという。 「僕は発声練習がてら、毎朝、般若心経を唱えるんですよ。何の話の流れかは忘れたけど、南部ちゃんにそのことを言ったら『俺も唱えられるよ』って言うんです。50年付き合ってきて初めて聞きましたよ。そんな南部ちゃんとの最後のLINEのやり取りは『エスパー、無くなったよ』(原文ママ)というもの。南部ちゃんが送ってきて、一緒に彼の死を悼みました。それからすぐですからね、彼が亡くなったのは…遺体の安置所に駆けつけたらいつものド派手な服を着た南部ちゃんが棺にはいっていて、苦しんだ様子もない、綺麗な死に顔でした」 「今はただ、寂しい」と中村さん。「でも、いずれ向こうでまた会えるから」 取材・文 河合桃子 集英社オンライン編集部ニュース班
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