三菱「GTO」必然的に生まれたスーパースポーツ
1970年代当時、ファストバック・スタイルは非常に人気が高かった。1960年代に大ヒットしたフォード「マスタング」が開拓者であり、そのフォロワーとして、数多くのファストバック車が生まれていたのだ。 その影響はアメリカだけでなく、日本にも及んでいた。トヨタのファストバックである初代セリカも1970年の誕生だ。 そんなファストバックの人気車のひとつに、GM(ゼネラルモーターズ)の「ポンティアックGTO」があった。のちに「マッスルカー」という高性能マシンの代表ともなる人気モデルだ。
タイミング的なものを考えると、コルトギャランGTOの名称は、ポンティアックGTOへのオマージュだったのだろう。 ちなみにコルトギャランは、ラリー車としても大活躍している。ただし、実際に参戦したのは軽量なセダンであり、ファストバックのGTOは競技車としてほとんど使われていない。 よく走り、丈夫で格好いいことから人気モデルとなったわけだ。今でも旧車ファンの間で根強い人気を保つ、日本の名車のひとつに数えられる。
■三菱がスーパースポーツを投入した理由 次の疑問は、「なぜ三菱自動車がスーパースポーツを求めたの?」というものだ。これには当時の時代の空気と、三菱自動車の企業的な都合があったというのが理由だろう。 GTOの生まれた1990年は、バブル絶頂期であり、スポーツカーの人気も絶大だった。そんな中、ホンダのNSXを筆頭にライバル各社がスーパースポーツをリリースしている。三菱自動車は当時、そのホンダと業界3位の座を争っていた。だから、スーパースポーツをやらないなんてことは、考えられなかったのだ。
また、企業的な都合もあった。当時、三菱自動車が資本提携していたクライスラーの存在だ。クライスラー側から、「アメリカで売るスポーツカーがほしい」という要望があったという。 そこで、三菱自動車が開発・生産を担当する、クライスラーと三菱自動車の兄弟車という企画が生まれた。そう、GTOにはアメリカに兄弟がいたのだ。ダッジブランドから販売され、その名を「ステルス」という。 ちなみに海外市場では商標の都合からGTOの名称は使えないため、「3000GT」の名前で販売された。忘れてしまった人も多いだろうけれど、昭和時代の三菱自動車はクライスラーと提携していたのだ。