「ただ面白いだけではない」松本清張 広がる格差、嫉妬や生きづらさ…今もなおリアル
「松本清張はよみがえる」を刊行 酒井信明治大准教授が記念館学芸員と対談
北九州市出身の作家松本清張(1909~92)は、推理小説「点と線」や「ゼロの焦点」でブームを巻き起こし、古代史や昭和史の闇にも分け入った。没後30年を機とする本紙連載を書籍化した「松本清張はよみがえる 国民作家の名作への旅」が刊行され、記念イベントが3月25日、福岡市・天神であった。著者で明治大准教授の酒井信さんと、松本清張記念館(北九州市小倉北区)学芸担当主任の中川里志さんが、幅広い仕事の背景や人気の要因について対談した。 【写真】酒井信さん著「松本清張はよみがえる 国民作家の名作への旅」 新刊は、2022年8月から23年5月までの連載50回を大幅に加筆・修正した。取り上げた作品は、芥川賞を受賞した「或る『小倉日記』伝」(1952年)をはじめ、トリックを駆使して50~60年代に支持を集めた「眼の壁」「砂の器」「けものみち」といったミステリーやサスペンス、日本文化の源流を探る「ペルセポリスから飛鳥へ」(79年)、自伝的小説「骨壺の風景」(80年)などの代表作。現在活躍する作家とも比較しながら読み解いた。 挿絵は連載と同様に人形アニメーション作家の吉田ヂロウさんが担当。カバー装画に清張の肖像を描き下ろした。 ○ ○ なぜ今清張を振り返るのか? 対談ではまず酒井さんが「長引く不況と新型コロナ禍で、所得や教育、家庭環境の格差が広がった。嫉妬や生きづらさが絡んだ『清張的』な事件は今も現実に起きており、リアリティーがある」と述べた。高度経済成長の時代に一躍人気作家となった清張の作品は、戦後を知るためにも重要だと指摘。ミステリー、純文学、考古学、近現代史とジャンルを超えて活躍した点で「村上春樹や司馬遼太郎と比べても特殊な位置にいる」と強調した。 清張作品の普遍的な魅力について中川さんは「人間を書いているから読み継がれる」と分析。その上で「犯罪に手を出す動機に社会性を織り込んだ。動機を書き込むことで物語が深まり、加害者側にも被害者側にも感情移入させる。ただ面白いだけではない」と話した。 時代との結びつきも見逃せないという。例えば、鉄道の時刻表を生かしたトリックで知られる「点と線」が刊行され、映画版も公開された58年は関門トンネル(国道)が開通。旅行ブームが訪れていた。名探偵が登場せず、ベテラン刑事が足で稼ぐ捜査も同作の特徴。中川さんは「読者も一緒に旅をするように楽しめた。清張は時代を的確につかんだ。時代が書かせたと言っても良い」と語った。 ○ ○ 清張作品の底流として、最近中川さんが重視しているのが「詩心」だという。清張は「ゼロの焦点」でエドガー・アラン・ポーの詩を引用している。2018年には、小倉で発行されていた詩誌「とりいれ」に、当時10代の清張が「風と稲」と題した詩を書いていたことが明らかに。最初期の資料として注目を集めた。 だが、清張が詩について自身で語ったことはほぼないという。中川さんによれば、晩年の対談で「作品には詩、ポエジーがありますよね」と水を向けられた清張は、満足げに応答した。中川さんは「リアリティーの作家だから詩心はない、と捉えがちだが、詩はいろいろな作品に出てくる」とし、関門海峡の間近に暮らした幼少期に詩心が育まれたとの見方を示した。詩は、従来と違った角度で清張を捉えるためのキーワードだ。 ○ ○ 清張が作家として世に出たのは41歳の頃だった。西南戦争を題材にした短編「西郷札」が懸賞小説で入選し、以後「国民作家」への階段を順調に駆け上がる。 それまでは苦労続きだった。生まれた家庭は貧しく、高等小学校を卒業し、会社の給仕や印刷所の見習いを経て、朝日新聞で広告版下を描く仕事に就く。家族は多く、養うのは簡単なことではなかった。「西郷札」執筆動機の一つは、当時10万円の賞金だったとも言われる。 酒井さんは「清張の作品には苦労した前半生の経験が生かされている」として、自伝的な「半生の記」を紹介。「高い学歴を持たないたたき上げの作家であり、どの作品より彼の人生そのものが面白い」と、清張への熱い思いをのぞかせた。 松本清張記念館で研究に従事してきた中川さんは「半生の記」について「自伝ではなく、あくまで『自伝的』作品と捉えるべき」と補足した。作家がつむぐ以上は物語であり「貧乏や苦労を克服した」というテーマに沿わない事実は切り捨てられると指摘。中川さんは「例えば子どもの頃にたくさんの映画を見ていたとか、普通の生活もあった。記念館が調べてきたそういった事実も合わせて、清張の実像を理解してもらいたい」と呼びかけた。 (諏訪部真)