三田佳子さん・82歳「54歳でステージ4の子宮体がんに。それでも悲観的になりません」|美ST
54歳でステージ4のがん、76歳、79歳でも大病を
40代は人生の中でいちばん充実していました。仕事、子育て、主婦、すべてやってもまだエネルギーが余って、元気がありました。夫婦共々忙しく、朝イチに家族で伊豆の別荘に出かけ、遊ぶだけ遊んで、遅くに帰宅して、次の日は早朝から仕事というスケジュールを平気でやっていました。学校にもよく行って、ママ友と旅行したりも。楽しかったですね。 ところが、54歳でステージ4の子宮体がんに。その少し前からほっそりして、カッコいいファッションが似合うようになったと喜んでいたのですが、仕事疲れで胃腸の調子が悪かったので胃腸科を予約したんです。すると、4日連続で「胃腸科に行くな」と夢を見ました。たまたまその後、婦人科の医師との食事会があり、「婦人科の検査を受けたことがない」と言うと、「50代でそれはダメです」と、検査していただくことに。 そこでがんが見つかり、肺にまで転移していることが発覚。死ぬのか生きられるのかと聞くと「五分五分」との答え。「即、抗がん剤を打ちましょう」と言われ、副作用があることも知らないまま、その日に投与。数日後に決まっていたコマーシャル撮影を終えてから、入院しました。入院前に美容院でシャンプーをしてもらうと、ごそっと髪の毛が抜けてしまって。後でわかったことですが、その最初の1回の抗がん剤が効いて、進行をくい止めることができたそうです。 その後、子宮全摘の大手術。でも絶望感はなかったです。休める喜びのほうが大きくて。舞台、ドラマとかけ持ちしてましたが、スタッフが初めて「どうぞ休んでください」と。後ろめたさもまったくなく、自由になれて最高に幸せでした。 退院後、自宅の窓から木の葉の揺らめきや、庭のトマトをカラスがもぎ取って行く瞬間を見たりして、何気ない幸せに浸っていました。手術から約1年後、舞台『鶴女夢物語』で復帰。死にもの狂いで演じて、「三田佳子の芝居はすごい」と絶賛されました。それまで演技派なんて言われたことがなかったけど、初めて認められて嬉しかったですね。 がんを乗り切ったと思ったら、76歳で頸椎硬膜外膿瘍に罹患。ハンマーで殴られたような激しい頭痛が続いて死ぬかと思いました。四肢の麻痺が残る可能性もあり、引退も覚悟しましたが、難しい手術は成功。そのときにぐらぐらしている骨を自分の大腿骨の骨でつなげていただいたんです。おかげで頭がすっきりして、病気自体が治ったと同時に記憶力が増して、台詞も覚えやすくなりました。 79歳のとき、撮影直前に左肩に激痛が続き、左化膿性肩関節炎で手術が必要になり、チューブ6本で肩に入った菌を抽出しました。さすがに降板を申し入れたのですが、監督から「この役はどうしても三田さんにやってほしい」と言われ、頑張ってリハビリをし、退院と同時にロケ先の北海道に赴いて撮影をこなしました。病気になるたびに、何かしら副産物があるんです。 この30年間、大病もしましたが、どんなときも悲観的にはなりません。いつも思っていることは、「こだわらず、とらわれず、偏らず」。あとで弘法大師の言葉と知りましたが、知る前から私の芯にある生き方です。あれこれ言われたからどうしようと思わないし、どうしようもないことが起こっても、事実を受け止め、解決方法を考え、反省するときはとことん反省。 仕事も、あの人嫌い、この仕事嫌というのはなくて、82歳の私には「今度ね」はもうないから、どのご縁もすべて大切にしたいと自然に受け入れてきました。私を望んでくださり、感謝しかありません。大好きな仕事が途切れず、本当にありがたい。だから答えを出すために一生懸命やっています。なぜそこまで役作りをするのかと驚かれますが、楽しいから。表現することが好き。台詞覚えは大変だけど、やるっきゃない。少しは甘くしてね、と時々甘えています(笑)。