「史上最弱」だった明豊、先輩との約束を胸に準V 選抜高校野球
飛びついた明豊の遊撃手・幸修也主将のグラブをはじいた打球が中堅前に転がった。九回1死満塁からサヨナラで敗れた明豊だが、「日本一」への挑戦権すら奪われた先輩たちとの約束だった初の全国制覇に、あと一歩まで迫った。 【今大会のホームラン】 新型コロナウイルス感染拡大の影響で史上初の中止となった昨年の第92回大会だが、出場を決めていた明豊にとっては特別な意味を持った大会でもあった。2019年の第91回大会で春夏通じて初の4強入りを果たし、選手たちは掲げた「日本一」の目標に最も近づいていると手応えを感じていたが、夏の全国選手権までも中止となった。 先が見えない中、当時3年生で主将だったエースの若杉晟汰さん(18)は、全体練習が終わると黙々と外野を走り続けた。昨夏、背番号1を引き継いだ京本真投手(3年)は、そんな主将の姿に「若杉さんのように強くなりたいと思った」という。続けた努力は一つの形として報われた。昨年8月、甲子園交流試合が開催され、県岐阜商に4―2で勝利。1試合だけではあったが、2度も出場機会を奪われた聖地で若杉さんらは躍動した。 新チーム発足当初、川崎絢平監督から「俺が監督になってから、史上最弱だ」と叱咤(しった)された。コロナ下の苦難の時もひたむきに練習に取り組む姿勢を先輩から学んだ京本投手らは、屈辱を負けん気に変え、バットスイングを例年の2倍に増やすなど猛練習を自らに課し、急成長した。 センバツ出場決定前日の1月28日、太田虎次朗投手(3年)は野球部の寮で若杉さんに呼び出された。「コロナで自分たちは夢を追うこともできなかった。必ず日本一を取ってくれ」 先輩から託された思いを背負う覚悟をし、奮い立った選手たちの練習はさらに熱を帯びた。先輩と誓った日本一という「2年分の思い」を背負った明豊ナインは、初の決勝の舞台で存分に力を発揮した。【吉見裕都】