被災からあすで1か月 廃線駅のノートに綴られた遺族の声 子どもたちが作る“被災地の新聞” 生活再建へ一歩ずつ
日テレNEWS NNN
2月1日で能登半島地震発生から1か月となります。仮設住宅が一部で完成するなど、再建への一歩を踏み出す一方で、病院に入院した被災者が退院後に帰る家がないという事態も起きています。 ◇ 突然 奪われた日常。少しずつ…でも着実に再開への動きが進んでいます。石川県輪島市では31日、地震後に県内初めてとなる仮設住宅があわせて18戸、完成しました。 「きれいでした。木目で木の香りがして、早く住みたい」 さらに、輪島市内では遊具の解体作業が行われていた場所もありました。このあと“生活再建の足がかり”となる仮設住宅が立ち並びます。 子どもたちの“学び舎”にも復活の兆しが…。校舎が被災し、6つの小学校で授業が再開できていない輪島市。関係者によると、6校の児童を受け入れる仮設校舎が市内に建設されるということです。 2月1日で地震から1か月。被災地は、前に進み始めています。 ◇ 北陸電力は31日、石川県で続いていた停電が“ほぼ復旧した”と発表しました。ただ、被害が大きい珠洲市の一部地域などは、まだ時間がかかるなど、課題は残っています。(輪島市・珠洲市など一部地域の停電戸数 約2400戸 ※1月31日午後6時時点) “厳しい局面”を迎えているのは、地震の負傷者などを受け入れてきた金沢市の病院。240床ある病床は現在、90%以上が埋まっているといいます。 金沢病院 龍澤泰彦副院長 「帰る場所がないというのが、一番問題になっているところだと思います』 問題は、容体が回復しても、帰る場所がないこと。スタッフもぎりぎりの状態だということです。 ◇ 避難生活も長期化しています。珠洲市の小学校では授業が再開しましたが、100人あまりがいまも身を寄せています。その学校の一室では、心温まる活動が行われていました。 「1月31日号です。みなさん疲れていませんか?」 作っていたのは新聞。避難所での過ごし方などの情報を、子供たちが手書きで書いていました。きっかけは子どもたちです。 小町富士子さん(68) 「僕らも何かすることないかな、できることないかな、と一生懸命探していました」 避難所で働く大人の姿を見て、自分たちにできることを探したということです。 ◇ 珠洲市では、自主避難を続ける人もいました。 鎌田一宏さん(65) 「全部、思い出もつぶされたような感じで」 地震で自宅が倒壊した鎌田さん。いまは、家から近い廃線となった駅舎で避難生活をしています。 鎌田一宏さん 「避難所へ通じる道が全てふさがっていて、どうにもならなかった。やむを得ずここに避難した」 電気は通っていないため、手作りライトで生活しています。 約20年前に廃線となった駅には、身を寄せる鎌田さん以外にも訪れた人がいました。地震前からホームに置かれた1冊のノート。そこには、次のように書かれていました。 「1月6日 父が死んだ。涙が止まらない。じしんで町がなくなりかけている。人もたくさん亡くなっている。つらい」 ◇ 生活が一変してから、2月1日で1か月。日常を取り戻すため、被災地は歩みを進めています。