遺族との対話 「高校生の娘を津波で…」知り合って7年、住職の女性が打ち明けた 感情を口に出せるまでには、それぞれに時間が必要
【東日本大震災から13年半 忘れない、立ち止まらない】 岩手県陸前高田市の内陸部、海から数キロ離れた地域に、市の文化財指定を受ける美しいお堂がある。そのお堂にまつられる高僧が開基した寺院へは、仕事を通じてたびたび足を運ぶようになった。住職は私より20歳近く年上の女性である。 何度も取材させてもらい、個人的にも大変良くしていただいている。だが、つい最近まで知らなかった。その方が東日本大震災のご遺族であることは。 どんな会話が糸口となり、それが明かされたのだったかは覚えていない。 「実は僧侶になる前は普通の主婦だった」と聞いて驚く私に、「高校生の娘を津波で亡くして、それで僧籍を得たの」と告げられたときには、住職と知り合ってすでに7年がたっていた。 震災で大切な誰かを亡くした方の話を伺うことは、私が最も重視しているライフワークの一つだ。しかし、当地(岩手県気仙地方)だけで約2000人もの人が亡くなっている一方、〝遺族に会える〟ことはめったにない。 それは、「多くの遺族が取材を受けたがらない」のが第1の理由。そして、「会ってはいても遺族だと知る機会がない」のが、第2の理由である。 同業者の中には、被災地域の取材で知り合った人に必ず、「ところで、あの震災の時はどうされてました」「何か被害には遭われたのですか」と尋ね、毎年3月の震災特集を念頭に情報をつかんでおくという人もいる。そこから意義深い報道につながることもあるわけで、個々に直接確認するというのも一つのやり方だと思う。 ただ、自分はその方法をとらないため、知り合って随分たってから「実は…」と打ち明けられることが多い。今回のように、いつも顔を合わせている人がそうだったというケースもままある。 そのたびに、「愛する誰かを突然失った人の心情や、話せるタイミングというのは、一人一人まったく異なるのだ」という実感を新たにする。 感情を口に出せるまでにどれほどの時間を要するかは十人十色だ。「今でもまだ無理」という人、10年以上たってから「記憶が薄れる前に話しておこうと考えるようになった」という人、逆に「震災直後は『知ってもらいたい』という気持ちで話してきたが、今では話すのがつらい」という人もいる。