宮沢洋一さんを偲んで(9月15日)
昨年8月、会津の金堀重機会長宮沢洋一さんの訃報を受け取った。宮沢さんを偲び、彼の功績をお伝えしたい。 宮沢さんは当初、音大入学を目指したほど音楽に造詣が深かった。「オペラ白虎」の企画を聞き、会津の観光資源の一つとなると考え、委員長として計画を積極的に進めた。大震災で、初演は1年遅れて2012年、第2回は2018年に成功裏に催された。宮沢さんのオペラへの熱い思いは、指揮者佐藤正浩氏と共にお聴きすることができた。 私の友人石井高君と会津漆バイオリン制作の議論をするため、ストラディバリの故郷クレモナに宮沢さん、塗り師の儀同哲夫さん、会津漆器組合の小沼一夫さんと訪れた。ミラノ工大訪問の翌日、汽車でクレモナ駅に着くと、「会津坂下のようだ」と宮沢さんは言った。ここでも故郷を愛する彼の熱い思いが私には伝わった。クレモナ市役所には、ストラディバリやグァルネリなどの名器が並び、我々一行にその音色を楽しませてくれた。その後、レストランに行くと、急に歌声が室内に響き渡った。イタリア第二の国歌「ナブッコ」を教会から帰って来た人たちが歌い始めた。彼はこの旅を十分堪能してくれたことと思う。
仕事のお話を二つ紹介したい。2011年、宮沢さんが経営する金堀重機は、中国を代表する長沙市の重機会社ズームライオンと提携することになり、9月には室井照平市長が長沙市を訪問した。何か応援できないかと考えたら、11月に会津産学懇話会が上海交通大学訪問を予定しており、また同月に会津大学に縁のある張堯学先生が長沙市の中南国立大学に学長として赴任されるとの知らせが入った。先生は、私が学長就任時、日本の高等教育局長に当たる教育部高等教育司司長であったので、交流方法について意見を交わしたことがある。中南大学との大学間の交流協定は両者にとって有意義だと考え、上海から長沙に宮沢さんと回ることにした。 もう一つは、宮沢さんが弟の宮沢丈夫さんと設立したマジックアイ社だ。特徴あるレーザーセンサーの画像処理技術を開発した。ひも一本でも検出できる高精度性で、またシンプルな回路構成で耐放射性も良い。アカデミックな研究で有名な欧州シンクロトロン放射光研究所で採択された実績もある。廃炉工事に使えないかと提案し、東電と数回技術者間で議論をしてくれたが、実用化までにはいたらなかった。昨年1月、IAEAと福島の協力10周年の講演会が三春で開かれて基調講演を頼まれ、福島発の夢のある技術を採用すると、地元の若い方々が廃炉工事に参画してもらう動機づけになるのではないかと紹介した。
宮沢さんには、その講演資料をメールで送ったら、「このまま、弟に送ります」との返事を頂いた。それが彼との最後の交信だった。 本当に寂しくなった。 心から、哀悼の意を表します。 (角山茂章 会津大学元学長)