【密着取材】「これだけの成果のためにどれだけ犠牲が...」 ウクライナ「反転攻勢」が失敗した舞台裏
<ゼレンスキー政権が挑んだ反転攻勢は失敗に。兵士や関係者の証言から見えたのは、戦力の分散による膠着と増え続ける犠牲だった>【尾崎孝史(映像制作者、写真家)】
「一緒に行くか?」 昨年12月、クリスマスツリーが飾られた兵舎で分隊長のユージン(39)が筆者に声をかけた。突然の呼びかけに「ドブレ(いいね)」と答え、泥だらけの軍用車に乗り込む。 【図解マップ】ウクライナ軍が計画した「反転攻勢」の攻撃軸と、実際の奪還範囲 ウクライナ東部ドネツク州バフムート地区のシベルスク市。ウォロディミル・ゼレンスキー大統領が対ロシアの反転攻勢における最重要地点としたバフムート方面軸の北部にある。昨年の本誌8月1日号で紹介したウクライナ軍の前線本部が9月に砲撃で破壊され、そのためシベルスクに駐留する部隊が、バフムート市の北側で展開される作戦を担っていた。 ミサイルが直撃し、穴だらけになった道を軍用車は高速で走る。向かうのはゼロ(ZERO)と呼ばれる戦闘地。軍人以外が近づくことは許されない場所だ。道の脇に焼け焦げた車が何台も放置されている。あらゆる建物が崩れ、骨組みがむき出しになっている。完全武装のユージンはマシンガンを構え、指示を出した。 「あそこに止まれ」 たどり着いたのはルハンスク州のビロホリウカという町だった。2022年7月にロシア軍に占領されて以降、激しい攻防が続いてきた。数百メートル先で、ウクライナ軍のロケットが火を噴いて連射された。草むらの向こうに155ミリ榴弾砲を搭載した戦車が確認できる。フランス製カエサルの最新モデルのようだ。 敵陣からの距離は1.5キロ。民間人の存在を気にせず撃ち合いが行われる、まさにゼロ地帯だ。14人の分隊を率いるユージンは戦況についてこう話す。「10月には300。足にロケットの破片が刺さった。9月には200。ロシアの戦車2台から攻撃を受けた。きのうの夜もすぐ近くにロケットが命中した」 300は負傷、200は戦死があったことを意味する隠語だ。部下のバーチャとグレゴリーに起きた被害をユージンは淡々と説明する。明日はわが身と、ここで一夜を明かした兵士たちがたばこに火を付けた。 昨年6月4日に始まった反転攻勢でウクライナ軍が挽回できた面積はごくわずか。逆に8月上旬、ロシア軍に2キロ押し返され、ビロホリウカの前線は止まったままだ。 この日の前日、12月4日付の米ワシントン・ポストが「ウクライナの反攻失敗」と題する記事を公開した。 記事によると、6月の大規模反転攻勢の開始に当たり、米英軍とウクライナ軍の将校は8回の作戦会議を行っていた。ザポリッジャのオリヒウにある前線基地からアゾフ海へ突破する攻撃に集中すべきだという米軍当局者。それに対し、ウクライナ軍の指導部は南東部3カ所での攻撃を主張した。その結果、戦力が分散し、膠着状態に陥ったという。 ■砲撃を受けたレオパルト2 反攻を開始してから50日が過ぎた7月28日、ウクライナ軍の先鋭部隊、第47独立機械化旅団はザポリッジャ州オリヒウの基地を出発した。アゾフ海への進撃を目指し、その第一目標としていた町ロボティネは攻略の途中だった。50日間で押し返せた前線の距離は8キロ。アゾフ海まではまだ90キロもある。 ドイツ製の最新型戦車、レオパルト2などで編成された戦車部隊が並木に沿って進む。地元ザポリッジャで徴兵された大柄の兵士アンドリー(36)は、前を進む戦車との間隔を50メートルほどに保っていた。その時、前方の戦車が砲撃を受けたという。 「危ない!」と叫ぶや否や、今度は自分が乗っている戦車が被弾した。ロシア軍の攻撃ヘリによる銃撃が警戒されていたが、プロペラ音は聞こえなかった。偵察ドローンに見つかり、榴弾砲を撃ち込まれた可能性が高い。暗視装置の配備が遅れ、大型戦車の移動は夜間に、とのセオリーが徹底できなかったのが悔やまれる。