歩兵をなぎ倒し近づかせず、機関銃座を狙い撃った【狙撃砲】
かつてソ連のスターリンは、軍司令官たちを前にして「現代戦における大砲の威力は神にも等しい」と語ったと伝えられる。この言葉はソ連軍のみならず、世界の軍隊にも通用する「たとえ」といえよう。そこで、南方の島々やビルマの密林、中国の平原などでその「威光」を発揮して将兵に頼られた、日本陸軍の火砲に目を向けてみたい。 第1次世界大戦は世界初の国家総力戦であり、機関銃や航空機、戦車に潜水艦といった近代兵器が多用されたことから「マシンガン・ウォー」の別名でも呼ばれる。同大戦での陸戦は、敵と味方の双方が両翼に延々と塹壕(ざんごう)線を掘って対峙する塹壕戦で、その塹壕には、ところどころに同大戦を象徴的に示す機関銃の銃座が設けられている。 塹壕戦では、攻める側が自分たちの塹壕を飛び出して、敵の塹壕線へと一斉突撃を仕掛ける。これに対して、守る側は機関銃座に据えられた機関銃で弾幕を張り、敵の歩兵をなぎ倒して近寄らせないようにする。そこで攻める側は、敵の機関銃でいくらなぎ倒されても突撃のテンションを維持できるよう、人海戦術をとらざるを得ない。 そのため、突撃が阻止されることはしばしばで、よしんば突撃が成功しても膨大な犠牲をともなうものだった。 では、この歩兵にとっての死神ともいうべき機関銃を潰す方法はないか。たとえば間接砲撃で叩こうにも、小さな機関銃座に直撃弾を与えるのはかなり困難である。 ならば、機関銃座を直接に狙い撃ってしまうのはどうか。歩兵の突撃とともに前進可能な軽便な砲を開発し、敵の機関銃座を発見次第、片っ端から狙い撃ちしてその息の根を止めてしまえば、歩兵は機関銃の銃火に苦しめられることなく前進できるではないか。 このような発想に基づいて、フランス軍は軽量で歩兵の前進について行ける軽便な小口径砲を開発し、この方向性が正しいことを証明した。 そこで日本陸軍はこの先例を参考にして、1917年10月から「狙撃砲」の名称で、同様の目的に用いる軽量で機動性に優れた小口径砲の開発に着手。翌1918年には調達が始まっている。 こうして配備された狙撃砲は、砲腔口径37mm、砲身長28口径(1040mm)で、車輪付き砲車に載せられ、折り畳みが可能な防盾が備えられていた。1分間で12発の速射が可能で、直射可能な距離として照準器には2500mまで刻まれていた。 そして当時の歩兵連隊1個あたり、狙撃砲2門を有する狙撃砲隊と弾薬車4両を有する弾薬隊がワンセットで配備され、突撃に際しては歩兵とともに最前線を進み、敵の機関銃座を発見次第に逐次駆逐するという役割を担ったのだった。
白石 光