「戦争抑止へ、被害の国家補償を」 長崎大・河合教授、ノーベル受賞演説を聴いて【インタビュー】
日本原水爆被害者団体協議会(被団協)代表委員の田中熙巳さん(92)はノーベル平和賞受賞演説で、原爆被害への国家補償を拒む日本政府を、草稿にない「もう一度繰り返します」などの言葉を加えて、2度にわたって批判した。演説の問題提起を、長崎大核兵器廃絶研究センター(RECNA=レクナ)副センター長の河合公明教授(59)は、日本だけに向けられたものではなく、「国際社会と国際法のパラダイム(枠組み)への挑戦」と受け止めたという。河合教授に聞いた。 -田中さんの演説は、どこで聴かれましたか? 授賞式は、長崎市役所のパブリックビューイングでレクナの先生方や学生と一緒に見ました。 田中さんの演説は淡々とした口ぶりでしたが、国家補償を問うところはトーンが違いました。「戦争は絶対に許されない」「戦争の犠牲を我慢せよと、国家が国民に求めるのは理不尽だ」という信念が伝わってきました。画面に映る田中さんから「戦争と国民の犠牲という問題を、国際法学者としてどう考えるのか」と問われているように感じました。 -田中さんは「戦争の被害は国民が受忍しなければならない」という日本政府の主張に、被団協はあらがってきたと語りました。 政府の主張は「受忍論」と呼ばれています。「戦争は国家の存亡に関わる非常事態」であり、「その被害は国民が等しく我慢してください」というものです。加えて「国民一人一人に補償することは財政的にできません」という考えがあります。 これに対して被団協は、戦争を起こした国家の責任を問い、被害は国家によって償われなければならないと訴えてきました。 -演説を「国際社会と国際法のパラダイムへの挑戦」とも受け止めたそうですが、どういうことでしょうか? もし、戦争被害に対して国家の責任を問う仕組みが国際社会に存在すれば、戦争への大きな「抑止力」になり得ます。 国際法は、国際社会の価値観を反映しながら発展してきました。20世紀の世界大戦の反省から、紛争の解決手段として武力を使ってはならず、話し合いで平和的に解決することが国連憲章によって義務付けられています。そのルールが破られ、他国から武力攻撃が仕掛けられた場合にのみ、「自衛権」による武力行使が認められます。 -自衛権はあくまで例外というわけですね。 その通りです。武力紛争が発生した場合でも、攻撃が許されるのは軍隊や軍事施設に限られます。一般市民や民間施設を意図的に攻撃することは、国際法で厳しく禁じられているのです。でも、現実の戦争や紛争を見れば、多くの市民が巻き添えで犠牲になっています。意図的な攻撃によるものでなければ、過度でない限り、国際法はこうした被害を許容しています。ここに現代の国際法の限界があります。 いかなるものであれ、一般市民の戦争被害に対しては国家が責任を負い、補償を義務付ける。そうした国際的な仕組みができれば、戦争に伴うコストを増大させ、国家も戦争開始をためらうはずです。 -それが抑止力になるというわけですね。 そうです。核兵器について言えば、小型で精密なものは「軍事目標に限定して使用できる」と核保有国は主張しています。しかし、軍事基地は都市のそばにあることが多く、周辺の市民が巻き添えになる可能性が高い。戦争が終わった後も、被爆者や核実験の被害者らが長年証言し続けてきたように、放射能によって人体や環境に被害が続く。ですから、国家に被害者への補償を義務付ける仕組みができれば、核兵器使用への強い抑止力となり得ます。こうした議論は、演説で示された「核兵器禁止条約のさらなる普遍化」を推し進める力になるはずです。 核兵器の使用が深刻に懸念される状況下で、田中さんの演説は、武力行使が禁止された現代にふさわしい国家の振る舞いと国際法の発展を求めていると、私は受け止めました。それゆえ歴史的な演説だと言えます。 被爆者たちの声は、戦争を過去のものにして未来に向かうための、国際社会の指針となるのです。