懐柔策か 取材機会か 首相とメディアの会食にはどんな問題があるのか?
「どう見えているか」が見えていない大手メディア
ある大手新聞では、首相と社長の会食問題が労使交渉のテーマにもなったそうです。その際、役員は「社長が会食しても紙面は変わっていない(影響を受けていない)」と説明。“メシを食っても筆を曲げなければいい”式の考えを披露しました。 「筆を曲げなければいい」という発想は日本のマスコミに染み付いていますが、そこには「国民にどう見られているか」という視点はありません。ネットの発達で「取材のプロセス」もある程度の可視化が進んできました。報道への評価は「商品である記事や番組の内容」だけではなく、「商品ができるまでの過程」も含むようになっています。その点をメディア自身が理解していないと、「メディアと権力は互いにうまい汁を吸っている」という批判は払拭できないでしょう。 ところで、この問題に関しては、「欧米メディアは権力者と会食などしない」という見方があります。編集部門を中心に記者倫理や厳しい行動基準を設けていることは事実ですが、例えば、米国のニューヨーク・タイムズ紙では、社主が政府要人を招いてしばしば午餐会を開いてきました。その他の国々でも同様の事例はありますし、中国やロシアのように報道機関が事実上、政府の統制下に置かれた国々では関係はさらに密接なはずです。ただ、「首相動静」のように詳細日程を明らかにしていない国も多いことなどから実態は見えておらず、今後は洋の東西を問わず、「マスコミ内部のブラックボックス」の可視化が問われていくかもしれません。