インタビューで突然泣き出した熊切あさ美 芸能界デビューのきっかけは小学校時代の「いじめ」だった
小学生の時、3度転校
39歳の時、グラビアで再ブレークを果たしたタレントの熊切あさ美(44)。「崖っぷちアイドル」として知られていたが、もともとはアイドルグループ「チェキッ娘」のメンバーとしてデビューした。なぜ、芸能界を目指したかを聞くと、突然、泣き出した熊切。その理由とは。(全5回の第2回) 【写真】「奇跡の39歳」と言われた圧巻の美ボディー。「超美少女」だった幼少期、小学、中学、高校、チェキッ娘時代の熊切あさ美
――そもそも芸能界入りはいつから考えていたのでしょうか。 私の親が転勤族で、小学生の時に3度転校していて、その際にいじめにあいました。キラキラしている芸能の世界に入ることで、いじめた子たちを見返したいと思ったんです。 ――いじめはどのようなものだったのでしょうか。 当時、私はガリガリで 脚が細かった。しかも、モダンバレエをやっていて、O脚だったんです。O脚の人って、成長期にジーパンなどのパンツをは くと、脚の形が悪くなるので、親がスカートばかりをはかせていました。 そうすると、「なんか脚を出して、自慢している」と言われてしまって……。そこから、陰口をたたかれて、いじめが始まりました。私は仲間の輪に入れてもらえず、聞こえるように悪口を言われました。 ――やりかえしたり、相談したりはしなかったんですか。 いじめられたらシュンとするタイプで、やり返せなかったですね。親に言えば、親が傷ついちゃうと思ったので、黙っていました。 学校ではジッと耐えていた感じです。休み時間やお弁当の時間はしんどかったですね。 ――救いはあったのでしょうか。 放課後はすぐに家に帰って、習い事ばかりしていました。塾、バレエ、ピアノをしていて、そこで友達ができて楽しかったですね。 ――中学時代はどうだったのでしょうか。 中学は転校もなく、3年間同じ学校で、いじめはありませんでした。中学2年のころから、芸能のオーディションを受け始めました。
48度目のオーディション
――どのようにしてオーディションを受けたのでしょうか。 今みたいにネットがなかったので、「デビュー」「オーディション」という雑誌を買ってきて、色々受けました。でも、落ちまくっていました。48度目のオーディションでようやく合格したんです。それが、「チェキッ娘」です。 ――どのようなオーディションだったのでしょうか。 電話投票とジョイポリスでのシールによる人気投票です。本当は友達に言って、投票してもらったがほうが良いのですが、「どうせ、また落ちるだろう」という思いがあって、親以外、誰にも言いませんでした。でも、1つだけズルをしちゃって……。 ――どのようなことですか。 テレビの生放送で合格発表されるのですが、その生放送の前に、ジョイポリスに行って、自分でシールをいっぱい貼ったんです。そうしたら、生放送で「熊切さん、おめでとうございます。シールの数、1位です」と言われて……。引き笑いでしたね。 ――それだけ、受かりたい気持ちが強かったでしょうか。 そうですね。当時は高校3年生。これでダメだったら、もう芸能界は諦めようと思っていました。保母さんか、バレエの先生になるつもりでした。 ――オーディション合格後は、順調でしたか。 レギュラー番組が決まったり、CDデビューや写真集も決まったりして、環境は恵まれていました。ただ、メンバーの人数が多くて、マネジャーからは「あさ美、そんなに大人しいと、この世界からすぐに消えるよ」と言われて、ハッとしたんです。それからは前に出るようになりました。 ――「チェキッ娘」を卒業後の活動はいかがでしたか。 運が良くて誰かしらが支えてくれて、グラビアをやったり、レギュラー番組もありました。ただ、段々、露出も減っていって……。20代前半くらいから「崖っぷちアイドル」と名乗っていました。