写真花嫁、戦争花嫁...「異人種間結婚」から生まれたもう一つの「日系アメリカ人文学」の100年
<人種差別、家族、ルーツなど「居場所のなさ」や「今の経験」をテーマに進化し続けてきた「日系アメリカ人文学」について。『アステイオン』99号>の特集「境界を往還する芸術家たち」より一部抜粋>【ウォント盛香織(甲南女子大学国際学部国際英語学科教授)】
■日本人移民が日系アメリカ人となり、 多人種化するまでの物語 2020年のアメリカ国勢調査では、日系アメリカ人はアメリカに現在およそ150万人暮らしている。日本人のアメリカへの移民は明治元年(1868年)のハワイ移民から始まり、アメリカ本土に広がっていった。 【動画】海外メディアにおすすめ旅行先として紹介される日本 当時の日本の家父長・長子制度で生活の資を持たない次男、三男といった男性や、明治の新しい時代の中で、アメリカでの学問やビジネスチャンスを求める男性がアメリカに渡っていった。 こうした人々は、アメリカで一旗揚げた後、帰国することを願う人が多かったが、アメリカでの生活は多くの人々にとって楽なものではなく、その日暮らしをするだけで精一杯であり、帰国は困難であった。 こうした男性はアメリカに根を下ろすことになるが、問題が結婚相手であった。当時のアメリカでは多くの州で異人種間結婚禁止法が施行されており、日本人男性の結婚相手を他人種に求めることは難しかった。 そこで、結婚を希望する男性の中には、故郷の親族や仲人に結婚相手を紹介してもらうよう依頼する者もいた。海を越えてのこの見合いは、当事者の写真と手紙の交換を通じて行われたため、結婚に応じた日本人女性たちは写真花嫁と呼ばれた。 日本人花婿と写真花嫁たちの多くは、やがて子を作った。国籍に関して出生地主義を採るアメリカでは、日本人移民の子どもたちはアメリカ人として生まれ、つまり日系アメリカ人となっていった。 日本人移民とその子どもたちのアメリカでの生活は1941年12月7日に大日本帝国軍がハワイの真珠湾を攻撃した時に一変した。 フランクリン・ルーズベルト大統領は大統領令9066号を発令し、当時アメリカ西海岸に住んでいた約12万人の日系アメリカ人たちを、アメリカに危害を加えうる敵性外国人とし、強制収容を命じ、彼/女たちの生活基盤を一夜にして奪った。 日系アメリカ人強制収容は、当事者たちにとって、日本人であるがゆえに受けた理不尽な人種差別であったことから、強制収容以降、日系アメリカ人たちの中には、日本人ルーツを持つことを恥じ、忠誠なアメリカ人であろうとした人もいた。 彼/女たちはアメリカの主流社会に同化していき、結婚相手も日本人以外とする者も現れた。こうして日系アメリカ人の多人種化が始まった。 日系アメリカ人の多人種化の他の要因としては、1924年以降、日本人移民が禁止されたこともある。明治元年以来続いていたアメリカへの日本人移民は、白人社会から煙たがられるようになる。 白人たちの中には、日本人移民が安い賃金で働くことで、自分たちの賃金が下がることを嫌がり、また日本人移民が子沢山であることで、白人社会がアジア化することを恐れる人々がいた。 彼/女らは立法者に働きかけ、1924年にアジア人移民排斥法を作ってしまう。日系アメリカ人は数的に少なくなり、結婚適齢期を迎えた日系アメリカ人は、他の人種グループに結婚相手を求めざるをえなくなり、日系アメリカ人の多人種化が進んでいった。1967年に廃止された異人種間結婚禁止法も、多人種化に拍車をかけた。 日系アメリカ人の多人種化のもう1つの要因として、戦争花嫁の存在が挙げられる。 第二次世界大戦に敗戦した日本は、アメリカ軍を中心とする進駐軍に占領された。この占領中にアメリカ軍兵士と結婚した日本人女性を戦争花嫁という。戦争花嫁の多くが異人種間結婚をしており、複数の人種ルーツを持つ日系アメリカ人が生まれていった。 日系アメリカ人の多人種化は、このように19世紀末からアメリカに移民した日本人移民の子どもたちの異人種間結婚や、20世紀中葉以降にアメリカに渡った戦争花嫁の異人種間結婚の結果である。 時代によってその背景は異なるが、それぞれの集団に属する複数の人種ルーツを持つ日系アメリカ人が自分の経験を元に文学を作り出している。 ■複数の人種ルーツを持つ日系アメリカ人作家の文学テーマの概観 複数の人種ルーツを持つ日系アメリカ人作家は、存在そのものがトランスボーダーの作家群といえる。 なぜならば彼/女たちの多くは人種という境界を越えて生まれ、日本とアメリカという国境を行き来し、一部の作家は日本語と英語という言葉の境界も越えており、多くがそのトランスボーダー性を文学に表現しているからだ。 筆者が知る中でもっとも古い複数の人種ルーツを持つ日系アメリカ人作家にKathleen Tamagawa Eldridge(以後、エルドリッジ)がいる。 彼女は1893年に日本人実業家の父と、アイルランド系アメリカ人の母の間に生まれた。20世紀前後に日米を往復するような豊かな家に生まれ、物質的に何不自由なく育ったものの、日米いずれでも疎外感を味わった。 彼女が1932年に出版したHoly Prayers in A Horse's Ear(Roy Long & Richard Smith)には、20世紀初頭に日本人とアイルランド人のルーツを持つことで、日系人コミュニティにも、白人コミュニティにも属しきれないことの苦悩が書かれている。 居場所のなさという問題は、多くの複数の人種ルーツを持つ日系アメリカ人作家の共通テーマである。 エルドリッジは、白人男性と結婚をして、白人にしか見えない子どもを産んだ後、ようやく自分の人種的不安定さが解消できたとし、白人アイデンティティへの帰属を書いている。