「鞄に入れたはずなのに…会社のPCがない!?」妻を騙して浮気相手のバースデーを祝う男を襲った大ピンチ
どこにもない!
「え~奥さんの勘すご! ねえ、スマホとかGPSとか大丈夫? 知らないうちに持たされてて、ここに乗り込んできたりしないでしょうね?」 「大丈夫、あいつそういうのほんと疎いから。大した仕事の経験もないまま嫁にもらってやって、趣味の手芸や料理ばっかりやってずっと家にいるし。本当に世間知らずなんだ。美優みたいになんでもできるイマドキの子とは違う」 「奥さん、ひとつ年上だっけ? ってことは40か……ふふ」 オレたちは共犯者らしく視線を交わして、夜景が広がるホテルの窓辺でキスをした。今日は誕生日だから奮発したけれど、毎回は金がかかってさすがに佳織にバレる。今夜は特別だ。だからたっぷり部屋デートを楽しむために、わざわざ予防線を張っておいた。これでタクシーで朝かえれば、接待帰りだと信じるだろう。 「さてと。ケーキとシャンパンを買ってきた、冷やしておくからシャワー浴びてきなよ、準備しておく」 「えー、なんの準備~? たっちゃんったらなんかオジサンくさーい」 今年29歳の美優が、どうして不倫なんかで時間をつぶすのか、正直いってよくわからない。でもまあ、それは彼女の人生、彼女の選択だ。おおかたオレが派遣勤務先のエリート社員だから、ちょっとした暇つぶしなんだろう。既婚者だってことは、同じ会社にいるんだから最初から知っていたはず。つまりこういう関係を1年ちかく続けているのは自己責任ってものだ。オレはいつだってフェア。 佳織に対しても、外泊せずに朝までには戻るのは、夫としての節度を守っているから。うまくやれる男だけが、婚外恋愛を楽しむ資格がある。 「早く出て来いよ~」 オレは上機嫌でソファに座ると、バッグからスマホを出そうとして反射的に手が止まった。 ――あれ? 会社のPCがない!? オレは焦ってバッグを探り、おもわず中身をソファーの上にぶちまける。 ない。会社から貸与されているPC。本来は絶対に持ち出してはいけないけれど、来週に控えたものすごく大事なプレゼンのために資料を作りこみたくて、こっそり持ち帰ってきた。確かに、絶対にバッグのなかにいれた。 「なんでだ!? どういうことだよ、何で入ってないんだ?」 「達也、どうしたの~? 大声だして」 美優がバスルームから顔を出した。しかし取り繕っている暇はない。あのPCがないと大変なことになる……! 誰にもまだ共有されてない、来週のプロジェクト資料。それはまあクラウドにあるからいいとしても、社外秘の予算案と計測データ。各部署からもらった数値を集積したファイル。そして取引先の内部資料。 ――冗談じゃない! ここでケチがついたら……! 来週のプレゼンをまとめてりゃ、最年少課長の座が確定なのに! 「え? 会社のPCがないの? 会社に忘れたんじゃなくて? まずいんじゃない? ばかねえたっちゃん……通勤バッグをリュックタイプにするからよ。スリにやられたんじゃないの? だからスーツにPCリュック、ダサいからやめなよって言ったのに~。スマホで動画みてイヤホンしてたら、後ろさぐられても気づかないよ」 「うるさいな、マジでやばいんだ、黙っててくれ」 脱ぎかけていたYシャツの脇がじっとりと濡れていく。会社にPCを置いてきた? そうであってほしい。……でも、確かにここに入れたんだ。どういうことだ!? 財布はある。スマホは電車のなかでもずっと動画を見ていたから、もちろんここにある。スリが財布じゃなくてPCだけを持っていくものだろうか? だが、たしかに、後ろからチャックをあけたら縦に入っていたPCを出すほうが簡単だ。他の物ならば、さすがに手をつっこんで探られたらわかっただろう。電車は帰宅ラッシュでめちゃくちゃ混んでいた。 「ごめん美優。それどころじゃなくなった、オレ、会社と駅にちょっと行ってくる。悪い、PC見つかったら戻ってくるから」 オレはきいきいと怒る美優を置いて、バッグの中身をかき集めると、部屋を飛び出した。
小説/佐野倫子 イラスト/Semo 編集/山本理沙
佐野 倫子