フランシス・フクヤマ「未来は絶望か希望か」 イーロンによるツイッター買収最大の罪とは
私たちは、過去75年にわたって平和で繁栄したリベラルな民主主義のもと暮らしてきました。この期間で、人々はリベラリズムに代わるもののひどさを忘れてしまったのです。 「やはり、リベラリズムは良いものだった」と気づく前に、私たちは反リベラリズムの期間を体験しなければならないのかもしれません。 インドはその好例です。インドでは、地方で暴力的な事態が数多く発生する余地があります。モディ首相は、そのような道をたどるでしょう。インドは、1世代ほどこうした地域間の暴力を経験して、はじめて気づくことになるでしょう。「リベラルな体制に戻る時が来たかもしれない。信仰を理由に差別されることはなかったから」と。
グローバル化が進んで、欧州の人々が比較的自由で繁栄した19世紀の後半から20世紀の前半、人々は平和な時を過ごしました。ですが、それでも欧州が戦争に向かうのは避けられませんでした。 これに関しても、先ほどと同じような世代に関する議論ができるでしょう。1914年の欧州は、1世紀ほど続く平和を謳歌していました。大規模な戦争はありませんでした。 たしかに普仏戦争はありました。しかし、それは短期間で終結しました。ある意味で、人々は退屈していたのかもしれません。欧州は、物質的に大きな進歩を見せた世紀でした。
しかし、人々はそれ以上のことを望みました。 そして、それは残念なことに、2つの世界大戦という形で実現することになりました。 私たちもそのような時を過ごすことになるかもしれません。 大国間で比較的平和が保たれた75年間を経て、人々がそれに倦怠を感じて、別の何かを欲するようになっているのかもしれません。
フランシス・フクヤマ :政治学者