用具は中古、荒れた球場…野球は「マイナーでお荷物」 東南アジアで受けた衝撃
今季からリーグ準加盟した異色のチーム・佐賀インドネシアドリームズの球団ビジョン
前代未聞の挑戦には明確なビジョンがある。佐賀県に初めて誕生したプロ野球チーム「佐賀インドネシアドリームズ」は今季から独立リーグ「ヤマエグループ九州アジアリーグ」に参加。東南、西アジア出身の選手を中心としたチーム構成には、野球がマイナーな国への競技普及や、日本選手の選択肢拡大といった野球の可能性を広げる狙いがある。3回目は日本のリーグに選手を送り込む理由について。(聞き手・楢崎 豊、間 淳) 【動画】スカートお構いなし…女子アナの頭より高い“超豪快足上げ”始球式にZOZOマリン熱狂 チームに所属する24人のうち、日本で生まれ育った選手は3人しかいない。インドネシアを中心にスリランカ、シンガポール、フィリピンと計5か国の選手が融合している。 今までにないチームが誕生するきっかけは、今から6年前にさかのぼる。佐賀インドネシアドリームズの福原佑二代表は当時、東都大学準硬式野球連盟が行っている野球普及活動のサポートメンバーとしてインドネシアを訪れた。目にしたのは日本では考えられない厳しい環境。野球用具は全て中古で、グラウンドは荒れていた。東南アジアでは野球がマイナースポーツで“お荷物扱い”されていたという。 それでも、地道に野球を普及させようと活動を続けてきた日本人の努力が実を結び、学校の体育の授業で野球が取り入れられるほどになった。インドネシアの訪問回数が増えていった福原代表も、現地で野球の認知度や国のサポートが広がっていると感じていた。ただ、同時に大きな課題に直面していたという。 「22歳以下のカテゴリーまでは競技人口が増えていました。しかし、せっかく若い世代が野球に興味を持って、野球をする人が増えても、日本のように社会人やプロのステージがないので就職や結婚のタイミング野球を辞めてしまうんです。プロがないと野球は発展しないと痛感しました」 福原さんはインドネシアで野球の普及活動に携わり、使命感が芽生えていた。「22歳以下の世代までは他の日本人の方々によって仕組みができた。その先は自分が何とかしないといけない」。仲間の理解や協力も得て、インドネシアをはじめとする東南アジアにプロ野球チームをつくる覚悟を決めた。 話が動き始めたのは3年ほど前。当初は日本のプロ野球のように、インドネシアにプロチームをいくつか立ち上げ、リーグ戦を進めようと考えた。だが、莫大な資金が必要で、野球がマイナーな国でスポンサーを集めるのはハードルが高すぎた。また、専門知識のある指導者のいないインドネシアでプロチームをつくっても、選手のレベルを上げるのは難しい。そこで、インドネシアなど東南アジア出身選手を集めたチームを日本で結成し、日本のリーグに参加する方針に転換した。福原さんが語る。