今井むつみ先生に聞く「仕事を好き嫌いでするな」という無理難題
今井先生がお書きになった『「何回説明しても伝わらない」はなぜ起こるのか?』を拝読しました。面白くて付箋を貼りまくらせていただきましたが、特に、いち会社員として非常に興奮したのは、あらゆる仕事というか、判断には、「感情が必ず絡む」と断言されているところなんです。 【関連画像】今井むつみ(いまい・むつみ)慶応義塾大学環境情報学部教授、1989年慶応義塾大学大学院博士課程単位取得退学。94年ノースウェスタン大学心理学部Ph.D.取得。専門は認知科学、言語心理学、発達心理学。主な著書に『ことばと思考』『学びとは何か』『英語独習法』(岩波新書)『ことばの発達の謎を解く』(ちくまプリマー新書)など。共著に『言語の本質 ことばはどう生まれ、進化したか』(中公新書「新書大賞2024」大賞受賞)『言葉をおぼえるしくみ』(ちくま学芸文庫)など。 今井むつみ先生(以下、今井先生):そうでしたか。 「そもそも、仕事に感情を持ち込むなんて、二流のすること」 などと思う方もいるかもしれません。また、「感情的である」というのは、しばしば「困った性質」として扱われます。 激しい感情のままに、カッとなって相手を怒鳴りつけるなどすればそれは確かに二流でしょう。 けれど、このような激しい感情ではない気持ちや意図も、私たちの思考や行動に大きな影響を与えていることを忘れてはいけません。感情の影響を受けずに判断できる人間は存在しません。誰もが仕事に感情を持ち込んでいるのです。 (中略) 多くの人は、「自分は合理的に判断し、決定している」と思っているかもしれませんが、そうではありません。選択や意思決定の多くの場合、人は、最初に感情で、端的に言えば「好きか嫌いか」で物事を判断し、その後、「論理的な理由」を後づけしているに過ぎないことを示すデータが、非常に多くの認知心理学や脳神経科学の研究で報告されています。 (『「何回説明しても伝わらない」はなぜ起こるのか?』191、192ページ) これはもう、定説と言っていいのでしょうか? 今井先生:私は意思決定の分野は専門ではないので、「定説ですか」と聞かれると、責任を持ってそうですとは言えないです。それに、心理学で「100%正しい」と断言できるものはなかなかないんですね。その前提の上で、「判断には感情が絡む」というのは、多くの専門家が受け入れている説ではあります。 人間が判断する際には、自分の感情、分かりやすく言えば「好きか嫌いか」が影響すると。 今井先生:そういうことです。 ●「好きだからいい条件で?」「当然じゃないですか」 私はぎりぎり昭和に入社した会社員なのですが、入社して先輩や上司からうるさく言われたのは「好き嫌いで仕事をするな」なんです。好きだからやる、嫌いだからやらない、それでは社会は回らない、まあ、それはそうだろうな、と思いながらキャリアを積んできました。 今井先生:会社の方針でもあったのですか。 そうですね、好き嫌い、つまり感情移入をすると、取材先との癒着につながってしまう、ということもあったかもしれません。自分は「社会人の常識」として、仕事をする際には好き嫌いを言うな、判断の基準を好き嫌いに置くな、ということだと受け止めてきたわけです。 今井先生:なるほど。 ところが、市販誌に異動して会社員ではなくフリーランスの方とお仕事をするようになって、びっくりしたことがあるんです。ある女性のライターさんと話していた時に、話の流れは忘れましたが「もし私が、あなたの興味と合致していてギャラも高い、条件のいいお仕事をお願いしたら『Yさんは自分に好意があるのでは』とか、思ったりします?」と聞いてみたんですよ。 単行本担当Mさん:あら、まあ、なんて直球な。 そうしたら、その方も思いっきり直球で「えっ、そんなの当たり前じゃないですか」と。 Mさん:へえ~。 仕事って、好き嫌いの感情は入れないものじゃなかったっけって思ってそう言ったら、「だってもしYさんが条件悪くて納期厳しくて何のメリットもない仕事を私に振ってきたら、あ、私のことあまり好きじゃないんだな、ぐらいは思いますよ。その逆ですから好かれているのかな、と思うのも当たり前ですよ」みたいなことを言われて。 Mさん:そうか、それはそうですよね。 そう言われて改めて考えてみると、私に「好き嫌いで仕事をするもんじゃない」と言っている上司たちは、「いや、これ、どう見てもあなたの好き嫌いでしょう」という企画の進め方とかメンバーの人選をやっているんですね。