ファイブ・フォースを用いて、自社の競争環境を分析せよ
■SCP理論とフレームワーク 前回までは、経済学ディシプリンのSCP理論を解説した。そこで強調したのは「完全競争と完全独占という2つの『市場の極』をベンチマークとして考える」ことの重要性だ。一般に完全競争は非常に儲かりにくく、独占は儲かりやすいので、「企業は様々な手段で周囲の競争環境を完全競争から引き離し、独占に近づけていくべき」というのがそのエッセンスだった。その手段としてポーターが主張したのが差別化戦略であり、またプラットフォーマー企業はネットワーク効果で競争環境を独占化していることを解説した。 さて、本書『世界標準の経営理論』の最初にSCPを紹介したことには理由がある。それは、SCPこそが最もきれいに「フレームワークに落とし込まれた理論」だからだ。これはポーターの極めて大きな功績といえる。だからこそ、MBAの教科書は、「ポーターの競争戦略」だらけなのだ。 本書は理論を紹介することが目的だが、ここでは特別に、ポーターのSCPフレームワークのポイントを解説しよう。その代表は、「ファイブ・フォース」「戦略グループ」「ジェネリック戦略」だ。 ■SCPフレームワーク(1):ファイブ・フォース ファイブ・フォースは産業分析のフレームワークだ。ファイブ・フォースは欧米のMBAでは必ず習う。その骨子は、「産業の収益性は、5つのフォース(脅威)で規定される」というものだ。フォースが強い産業は「完全競争」に近づくので収益性が低く、フォースが弱いほど「独占・寡占」に近づいて収益性は高くなる。 完全競争に近く構造的に収益の低い産業の例として、米国内線航空産業を取り上げた。今回はそれをファイブ・フォースに当てはめて解説しよう。 ■フォース1:潜在的な新規参入企業 (force of potential entrants) 参入障壁が低いと、既存企業が高い収益を上げても新たに企業が参入してそれを奪おうとする。 米国内線航空産業は1978年に規制緩和が行われ、参入障壁が大幅に低下した。結果として新規参入企業が相次ぎ、各社の収益性は大きく低下した(=フォース1が強くなった)。 ■フォース2:競合関係(force of rivalry) 企業の「競合度合い」が熾烈な産業ほど、収益性は低下する。例えば、小さな企業が数多くひしめき合っている産業、差別化が難しく価格競争しかできない産業では、競合度合いが高まる。 米国内線航空産業では、現在も100以上の航空会社がひしめき合っている。また、国内線は飛行時間が短く、国際線で求められる「快適なビジネスクラス」や「豪華な機内食」が必要ないので、差別化が難しい(=フォース2が強い)。 ■フォース3:顧客の交渉力(force of buyer) 顧客が自社製品から他社製品に乗り換えやすい産業ほど、顧客側の交渉力が強くなるので収益性が低下する。 米国では、特定の国内線航空会社にロイヤルティを持つ利用者は少ない。また最近の顧客はプライスラインやエクスペディアといったウェブサイトで徹底した価格比較を行い、安いフライトを選ぶ傾向にある(=フォース3が強い)。 ■フォース4:売り手の交渉力(force of supplier) 自社が売り手(サプライヤー、ベンダーなど)を選べない立場にいる時、売り手側の交渉力が強くなり収益性は低下する。 例えば機体の購入先の選択肢は、ボーイング、エアバス、ボンバルディアなど少数企業に限られる(=フォース4が強い)。 ■フォース5:代替製品の存在(force of substitutes) 「コーヒーにとっての紅茶」のような代替品が豊富な産業ほど、収益性は低下する。 米国は鉄道網こそ発達していないが、無料の高速道路が充実しており、ガソリンの価格も安い。そのため、自動車が飛行機を代替する移動手段となっている(=フォース5が強い)。 図表1はMBAの教科書に必ず掲載されるファイブ・フォースのイメージ図だ。余談だが、ポーターの競争戦略がこれほど広まった理由の一つは、彼のこの「フレームワークを図化する能力」によるところも大きい、と筆者は考えている。文章は忘れても、図のイメージは人の記憶に留まりやすいものだ。他にも「バリューチェーン」の図も、ポーターが考案したものが世界中で使われている。 ■ファイブ・フォースの正しい使い方 さらにMBAの教科書では、フォースの強さを実際に分析するためのチェック項目を紹介することも多い。図表2はその例だ。MBAの授業では、産業の定性情報や、企業集中度を示す「上位3社集中度」「ハーフィンダール指数」などの定量データを分析しながら、こういったチェック項目に沿って、その産業のファイブ・フォースを評価する術を学ぶことになる(※1)。 同分析のさらなる子細については、MBA向け教科書などを読んでいただくことにして、ここでは留意点を2つ述べたい。 ■ファイブ・フォースは将来の予測に使うと有用 第1のポイントは、ファイブ・フォースは産業構造・収益性の現状分析だけでなく、将来の予測に使うと有用性が増すことだ。特にITの進展・グローバル化といった、経済社会・技術の変化が産業の今後に与える影響は、フォースに分解して考えると整理しやすい。例えば、ITのさらなる進展は、製品・サービスの比較を容易にするので「顧客の交渉力」を強める(フォース3を強める)。その一方で、その産業で多額のIT投資が必要な場合、それは参入障壁になっていく(フォース1を弱める)かもしれない、といった具合だ。 ■ファイブ・フォース分析を複数の階層・レベルで行う 第2のポイントは、ファイブ・フォース分析を複数の階層・レベルで行う重要性だ。実際、同分析の結果は「どこまでを自社の競争環境とするか」で大きく異なる。例えば鉄鋼なら、競争環境を「日本の高炉産業」に絞れば、そこは日本製鉄、JFEスチールなど上位4社の寡占状況なのでフォースは全体的に弱くなる。しかし「世界の高炉産業」を競争環境ととらえれば、世界の上位10社のシェアを足しても、3割に留まる。そのため「競合関係」「顧客の交渉力」などのフォースは強くなる。他方で今度は競争環境を「高度な亜鉛メッキ鋼板をつくる産業」に絞れば、フォースは弱くなるだろう。大事なことは、「だからファイブ・フォースは役に立たない」と短絡的に考えるのではなく、この前提を理解した上で、複数のレベルで分析することだ。そうすれば自社の競争環境について、より深い分析ができるはずだ。 【動画で見る入山章栄の『世界標準の経営理論』】 SCP理論 戦略という研究領域の構造と理論の関係 「競争戦略が死んだ」本質的理由、不確実性の時代の経営理論 ※1 上位3社集中度(CR3)は、当該市場の上位3社の市場シェア(%)を累計したものである(4社の場合はCR4となる)。最大100までを取り、数値が大きいほどその市場の集中度は高い。ハーフィンダール指数(HHI)は、当該市場におけるすべての企業の市場シェア(%)をそれぞれ2乗してから累計した値である。最大1万までを取り、数値が大きいほどその市場の集中度は高い。CR3やHHIは、「競合関係」のフォースを定量評価する時によく用いられる。また売り手先の市場や買い手先の市場の集中度を分析して、それぞれの「交渉力」のフォースを評価する際にも用いられる。日本については、例えば公正取引委員会が計算したCR3やHHIのデータがあり、同委員会のウェブサイトから誰でもダウンロードできる。
入山 章栄