アコードの“今”と“未来”とは? ホンダは“ファン”と“伝統”を見捨てない(かもしれない)
ホンダをたまには褒めてあげたい
このことについて、私なりの考察を加えてみたい。 はっきりしているのは、アコードにしてもカムリにしても国内販売台数は決して多くなかったということ。いっぽうで、トヨタはクラウンのラインナップを大幅に強化し、その拡販に努力している。しかも、そこにはセダンもしっかりと用意されている。「だったら、カムリの販売は終わりにして、クラウンにより注力しよう」という判断が下されたとしても不思議ではない。カムリの生産が終了するのは、こうした事情によるものだったと推測される。 いっぽうのホンダにはクラウンに相当するモデルがない。アコードよりもひとつ下のクラスにはシビックがあるけれど、総合自動車メーカーとしての体裁を整えるなら、シビックよりもひとクラス上のセダンが欲しい。幸い、アコードは北米で売れていて基本的な開発費はそこの売り上げでまかなえるので、ちょっと苦しいけれどお膝元である日本での販売は継続しよう。そんな意気込みで、アコードの存続が決まったのではなかろうか。 もうひとつ、指摘したいことがある。一時期のホンダは、「レジェンド」、「NSX」、「S660」、「オデッセイ」の販売を立て続けに打ち切った。このうちオデッセイのみは中国生産製に切り替えて再発売が決まったけれど、このような判断が下された当初、ホンダに対して「闇雲に生産を打ち切るのはいかがなものか?」という非難の声が高まったことがある。 もちろん、自動車メーカーは利潤を追求する私企業だから、儲からない車種の販売が打ち切られるのは仕方ない側面もある。けれども、あまりに頻繁に発売中のモデルの販売を終了すると、やがて顧客からの信頼を失うことになりかねない。 「なんだ、自分が買ったクルマはメーカーに見捨てられたのか」 と、思う向きがあったとしても、不思議ではないからだ。 そんなホンダが、アコードだけは諦めることなく踏ん張った。その背景には、ホンダが「セダンはクルマの基本」と、考えていることが関係しているのではないかと私は推測している。 4人ないし5人の大人がしっかりと腰掛けられて、乗り心地が快適で高速移動も苦にならない。そして、いざとなればワインディングロードを元気に走ることも可能。そんなことができるクルマはセダン/ワゴンとSUVだけだろう。 でも、SUVには重心が高いという決定的な弱点がある。このため乗り心地とハンドリングを高い次元で両立させることがセダン以上に難しいというのが定説。しかも、SUVは全高が高いために空気抵抗が大きく、高速燃費は一般的にセダンには及ばない。市街地燃費にしても、車重がセダンより重い分、SUVのほうが不利だ。いいかえれば、セダンほど総合性能に優れたクルマはほかにないのである。 そんなセダンをできるだけ残したい……。数多くの自動車メーカーのなかにあってとりわけ技術志向が強いホンダに、そんな思いが芽生えたとしても不思議ではなかろう。 それにしても、販売中断が発表されるたびにホンダに対する非難の声が高まったのとは裏腹に、アコードの継続販売が決まっても、それを褒める声がほとんど聞こえないのは、なぜだろうか? F1撤退問題のときもそうだったが、ホンダはなにをやらかせば集中砲火を浴びるのに、いいことをしてもほとんど褒められないような気がする。 そんなホンダをたまには褒めてあげたいと、僭越ながら私はそう思っている。
文・大谷達也 写真・安井宏充(Weekend.) 編集・稲垣邦康(GQ)