アフガン撤収計画見直し オバマ大統領が憂慮する「負の遺産」
アメリカのオバマ大統領は10月中旬、アフガニスタン撤収計画を見直し、次期大統領就任後の2017年以降も米軍を5500人程度駐留させると表明しました。2012年の自らの再選の公約としてオバマ自身が掲げた任期中の米軍のアフガン撤退が結局、実現しなかったことになります。アフガニスタン戦争は2001年から14年以上にわたるため、既に「アメリカの最長の戦争」となっており、今回の見直しでさらに長引いていくことになりました。今回の撤収計画の見直しの背景には何があるのでしょうか。 【写真】米軍が戦闘任務終了 アフガニスタンの今後は大丈夫か?(2014年12月)
●非現実的な選択肢
そもそも現状では米軍がアフガニスタン撤収するのはどう考えても不可能です。というのも、アフガニスタン各地でタリバンの勢力が盛り返しているためです。アフガニスタン北部の都市のクンドゥズは一時的にもタリバンに陥落しました。首都カブールへの攻撃も目立っています。 そんな中、10月初めにはそのクンドゥズで医療活動を続けている「国境なき医師団」の病院を米軍が誤爆してしまうといった痛ましい事故も起こっています。米軍はアフガニスタン軍を支援教育する形で協力体制を築いてきましたが、連携そのものがうまくいっていない現状を一気に露呈させてしまいました。 アフガン政策がうまくいかない中、米軍撤収はあり得ない非現実的な選択肢だったといえます。オバマ大統領のアフガン撤収計画見直しの前兆はすでにありました。オバマ大統領は昨年12月、アフガニスタンに駐留する米軍の数を「2015年末までに5500人までに減らし、2016年にはすべてを撤収させる」という発表をしましたが、わずか数か月後の今年3月には「2016年末までの撤収は変えないが、2015年末までの米軍の数は9800人規模を維持する」と訂正しています。今回の撤収計画見直しは予想されるものでした。
●「イラクの二の舞」回避
今回の撤収計画見直しで、アフガニスタン政策に対するさらなる批判を避けたいというオバマ大統領の本音がみえます。そもそも、撤退という公約そのものがオバマ大統領の政治的PRにすぎないという批判はアメリカ国内でも根強くありました。撤退期限を表明することは、「アフガニスタンが脆弱になる日」を敵に伝えてしまうためです。オバマ大統領は上述のように昨年12月に具体的な撤退期限を表明しましたが、それ以降、実際にタリバンの勢いは増しています。イラクに続き、アフガンでも外交上の負のレガシーを作ってしまうことは何としても回避したいと考えているはずです。 2008年の大統領選挙の際、民主党候補となったオバマは、イラクとアフガンの2つの戦争の差を選挙戦でことあるごとに強調しました。イラク戦争は「大義なき誤った戦争」であり、アフガンはアメリカ本土を狙ったテロを未然に防ぐために「必要な戦争」という主張をオバマは繰り返しました。アフガニスタンの方は「2001年の同時多発テロを受けた対テロ戦争の主戦場」という位置付けでした。 実際、当選後、オバマ大統領はアフガニスタンでは増派を続け、2009年の就任時には3万人規模だった米軍を2010年には10万人規模まで増やしていきます。一方、イラクでは撤退に向けて米軍の規模縮小を進めました。2011年末までに米軍最後の部隊のイラク撤退が完了、約9年にわたる戦争が終結しました。2012年大統領選挙の再選に有利な材料となることを強く意識したようにみえます。 同様にアフガニスタン情勢も選挙に結び付けられていきます。2011年5月には同時多発テロの首謀者でアルカイダを率いたウサマ・ビンラディンを殺害したこともあり、アフガニスタンでは「治安が収まりつつある」として、2011年末から米軍の数を段階的に減らすとともに、2012年選挙では「任期中の米軍のアフガン撤退」を公約として掲げました。 このイラクとアフガニスタンの出口戦略ですが、イラクの方では米軍撤退を急ぎすぎたために、イラクとシリア両国にまたがる「イスラム国」の勢力拡大を招いたとする議論も根強いのが現状です。今年に入ってからのタリバンの勢力の復活をみると、撤退を急ぐとアフガニスタンもイラクの二の舞のように、大混乱になってしまう可能性もあります。それもあってアフガニスタンの出口戦略には慎重になっているといえます。