「品女って分かるとバカにされるから、帰り道で制服を着替えた」 廃校危機から志願者30倍、偏差値も急上昇 品川女子学院の奇跡
◆学校一家に生まれ、国語教師に
---創立者のひ孫にあたる漆さんは、校長先生としては何代目ですか? 校長としては6代目です。創業家ではない方がやっていた時期もありましたので、漆家としては4代目です。 ----幼い頃は、どんな子どもだったんですか? 外では優等生だったと思います。子どもの頃は体が弱かったんです。 母が心配して連れて行った水泳教室がきっかけで丈夫になり、今も年齢別トライアスロン日本代表です。 今日も2キロ泳いできました。 子どもの頃は、祖父が理事長・校長で父と母が手伝っていました。 母は、授業を持ちながら経理も兼任。 父も授業を持ち、家では生徒の楽しい話題もよく出ていました。 一方で、経営が苦しく地獄みたいなことも見てきましたね。 ---将来、両親の後を継ぐかもしれないという意識はあったんですか? 「あるのかもしれないな」という一方、あまりに大変そうなのと、両親が「子どもは二の次」という感じだったので反抗心もありました。 忙しいときは、帰ってくるのが午前3時のこともあり、継ぐのは嫌でしたね。 一方で、教員としての両親は尊敬していました。 教員にはなりたいけど、経営者にはなりたくない。 生徒のことだけでなく、「お金がない」「もめ事をどう処理する」などの話題も聞いていたので、1番なりたくない職業が経営者でした。 ---早稲田大学に入り、国語教師を目指していた。 徹底的に勉強し、教員資格を取りました。 でも、最初は純粋に教師になりたく、「経営」を避けるために、品川女子学院には勤めず、別の私立中高一貫校に入りました。 そこは本当に楽しかったです。 担任も持たせてもらい、学校が天職だなって思いました。 女子校で中学生を受け持ったのですが、本当にわがままな子がおり、みんなとの揉め事を通して成長するんです。 毎日子どもに変化があって、泣いちゃうぐらいのことがあるんです。 毎日泣いちゃう仕事なんて、そんなにないんじゃないかなって。毎日感動しながら働きました。