日本政府「巨額の財政赤字」が弾け飛んだその先は?――「日本円の紙クズ化」から急展開する、まさかのシナリオ【経済評論家が解説】
巨額の財政赤字を抱える日本。現状はまだ持ちこたえていますが、未来に絶対はありません。万一、投資家たちが日本国債を買わなくなったとしたら…。そんな「もしも」の場合をシミュレーションしてみると、想定外のシナリオが見えてきました。経済評論家の塚崎公義が解説します。 年金に頼らず「夫婦で100歳まで生きる」ための貯蓄額
日本政府が破産する可能性は小さい。なぜなら…
日本政府が破産する可能性は小さい、と筆者は考えています。それは、日本人投資家にとって日本国債が最もリスクの小さい投資先であるため、日本政府が資金繰りに困ることは考えにくいからです。その辺りのことは、前回の拙稿 『日本の財政赤字「1,000兆円超え」の現状に戦慄も…それでも「破綻しない」といえるワケ』 をご参照ください。 しかし、なんらかの拍子に投資家たちが日本国債を買わなくなれば、日本政府の資金繰りが破綻する可能性もありえます。その場合に何が起きるのか、頭の体操をしてみました。筆者は、最後の瞬間に大逆転が起きると考えているので、その様子をシミュレーションしてみましょう。 ◆国債が暴落し、国債の新規発行が不可能に!? 202X年某月某日、某大手格付け機関は日本国債を投機的格付けにまで引き下げた。機関投資家のなかには投機的格付けの債券を保有できないと決めているところも多いため、国債の投げ売り合戦が始まった。そうなると、一般の投資家も「国債が値下がりする前に売ろう」と考えるので、暴落が暴落を呼んだ。日銀が必死に買い支えたが、額面100円の国債が30円で取引されるのがやっとであった。 国債が暴落しても、政府が損をするわけではない。国債を持っていた人が損するだけである。しかし、既発国債の値段が暴落するということは、新規に国債を発行することが困難になる。財政支出が行えなくなり、過去に発行された国債が満期になっても償還できない、つまり財政が破綻することになりかねないのだ。 ◆円が嫌われ、ドルが爆騰 国債が暴落しただけではない。「政府が破産するということは、政府の子会社である日銀が発行している日本銀行券という紙が紙クズになる」と考えた人々が、円を手放して実物資産と外貨を手に入れようと一斉に動き出したのだ。 消費財や不動産なども値上がりをはじめたが、反応の速さではドルの値上がりが圧倒的であった。海外の資金が一斉にドルを買って逃げ出したのみならず、日本人たちも一斉に銀行預金を引き出して米ドルを購入したからである。 こちらも日銀が必死に介入したが、1ドル300円前後で押しとどめるのが精一杯であった。なにしろ、皆がドル高を確信して思い切りドルを買ってくるのだから、日銀介入が立ち向かえる相手ではなかったのである。 人々は、この世の終わりを予想し、深いため息をついた。政府が破産して紙幣が紙クズになると、日本はどうなるのか、自分たちの生活はどうなるのか、想像するのも怖かった。ひとり、日本国債空売り中の投機家だけが、勝利の美酒に浸っていたのだった。 ◆ところが最後の瞬間、まさかの… 深夜、重苦しい雰囲気の中で、総理大臣の記者会見が始まった。しかし、瞬時にして人々は頭が混乱した。総理の第一声は「嵐は去りました」だったのである。 「日本政府は、1.3兆ドルの外貨準備を持っていました。これを、1ドル300円で売り、390兆円を得ました。それを用いて、額面1,300兆円分の国債を100円あたり30円で買いました。日本政府が発行した国債は、いまやすべてが日本政府によって所有されているのです。つまり、日本政府はいまや無借金なのです。」 国債を安値で叩き売った人は後悔した。ドルを高値で買った人も後悔した。しかし、誰より後悔し、恐怖に怯えていたのは空売り投機家だった。決済日までに国債を買い戻さなくてはいけないのだが、国債は政府が全部持っているのだ。「まさか政府が法外に高い値段で国債を売りつけてくることはあるまい」と考えて自分を落ち着かせるしかなかったのである。 投資は自己責任であるから、投資家が損をしても政府が穴埋めをする必要などまったくないはずである。ただ、何事にも例外はある。銀行が破産すると日本経済が回らなくなるのである。そこで、政府は銀行に出資することにした。 銀行に無議決権優先株を発行させてそれを政府が購入することで銀行の資本金を充実させ、将来の利益で優先株を買い戻すことを銀行に約束させたのである。株式購入資金は国債発行によって賄ったが、政府が事実上無借金になったことを理解した投資家たちは、喜んで日本国債を購入したのである。 翌日から、日本経済は何事も無かったかのように活動を再開した。銀行も通常通りに営業しており、投資と無縁の一般市民のなかには、日本経済が破滅の1歩手前まで行っていたことに気づいていなかった人も多かったようである。