「なぜ日本の研究は遅れているのか」…ノーベル賞科学者・山中伸弥が教育現場にみる、日本とアメリカの絶望的なほどの「差」
教科書を否定する
山中 こういう経験があります。今、普通の自家用車でも、前方車両の速度に自動的に追従するといった機能がどんどんついていますよね。僕はそういう機能があると、すぐに使いたい(笑)。 料金所ETCのところに来ると、前方の車が時速2十キロくらいまでスピードを落としますよね。そうすると僕の車も自動的に減速します。減速はするけれども、普段の自分のタイミングよりも一歩遅れるんです。自分だったら、ここから減速するというタイミングで減速してくれない。それでぐっと我慢していると、ちょっと遅れて減速するんですけど、もう怖くて怖くて、ものすごく不快です。 そういうふうに、ずっと慣れ親しんできた自分の行動様式と違うことをするのは、頭では安全だとわかっていても、全身から不快さがこみ上げてくる。もし車が止まらなかったら大変なことになってしまうわけだから。だいたい止まりますけどね(笑)。 研究というのは、今ある教科書を否定します。他の人と違うことをやる、新しいことを発見する、というのは、結局、教科書の否定につながりますからね。ただ、僕は教科書の否定を推奨しているわけではないですよ。そもそも教科書をあまり知らないので(笑)。 羽生 いえいえ、そんなことは(笑)。
新しいアイデアを広げるために
山中 教科書を否定しているのではなくて、教科書を十分知った上で否定するのが、本来のやり方だと思います。結果的に「ああ、これは以前、教科書に書かれていたことと違っているな」と後からわかることのほうが多いです。 羽生 確かにそうですね。たとえば私も「若い人たちに何かメッセージをいただけませんか?」と聞かれることがあります。そんなときには「今まで自分がやったことがないとか、経験したことがないとか、そういう羅針盤が利かない状況に身を置くことが大事なのではないでしょうか」と答えることが多いんですね。 先ほどの車の運転の話もそうですけれども、今はどこへ行くのにも、カーナビはあるし、スマホさえ持っていれば、自分がどこにいるかが瞬時にわかります。いつも手元に地図と羅針盤があり、そういう意味では安心な状況です。 でもそうではなく、これまでの知識や経験が役に立たないような、カオスとまでは行かなくても、そうした状況に身を置いて自分で対応していくことが、新しい発想やアイデアを広げるのかなと思います。 『「今からシリアの戦地に行ってきます」天才棋士・羽生善治が仰天する、向こう見ずな「Z世代」の衝撃的な行動』 に続く
山中 伸弥(京都大学iPS細胞研究所所長)/羽生 善治