吉沢亮と安田顕の陽だまりのような視線が重なる 『PICU』志子田に感じた“信じられる希望”
圧倒的な命への敬意とその奇跡への畏敬が滲んでいた志子田(吉沢亮)
PICUで求められるのは、たった一つの“解決”や“正解”ではなく、その時々で変化する患者の“正解”や“幸せ”に寄り添い続け、その中で最適な方法がないかとにかく一緒に考え尽くすことなのだとつくづく思い知らされる。「命を救ったからって心まで救えないときもある」とは植野の言葉だが、娘の10年の延命治療に寄り添い続けた母親(ともさかりえ)の迷いと葛藤を前に、「私は間違っていたんでしょうか」と思い至れる彼のその揺らぎこそ信頼できる。 生後間もなく親から公園に捨てられ蜂窩織炎を患っている名もなき小さな命は、そんなあらゆる理不尽による犠牲の究極形だ。へその緒を雑に切られたことが原因で皮膚が傷つくことで感染する症状で、一体全体その母親はどんな状況に追い込まれていたのかと想いを馳せずにはいられない(そしてこういう時「母親が迎えに来るか、名乗り出るか」と母親側にだけ焦点が合わされることには疑問が残る)。 愛に包まれるようにと「愛衣」と名付けたその子の最期を、意思を持って決断し見届けた志子田。常に目を潤ませながらも、現実からも自分からも目を逸らさない安田顕扮する植野と、愛衣が確かに生きた証をしっかりと目に焼き付けるように眼差す吉沢亮演じる志子田の、陽だまりのような視線が重なる。彼女のあまりに短く、しかし濃くて太い生涯と奮闘を心から祝福した志子田には、圧倒的な命への敬意とその奇跡への畏敬が滲んでいた。経験値を積み上げながらも決して“慣れてはしまえない”し、“慣れてたまるものか”とする彼の真っ直ぐで優しい意地こそ、信じられる希望だろう。
佳香(かこ)