「仕事が成功しても、常にハングリー」藤あや子、南果歩、後藤久美子たちが信頼を寄せる”女性敏腕P”
藤あや子(63)、南果歩(60)、鈴木保奈美(57)、後藤久美子(50)、奥菜恵(45)――大物女優たちを虜にする、出版業界では珍しい一人の“女性プロデューサー”がいた。 【画像】大物女優たちが絶大な信頼を寄せる小栗香織が、グラビア写真集を発売 「目標の壁は高いほうがいい。だから、どんなにハードルが高い女優の方々でも『プロデュースしたい!』と思ったら諦めません」 曇りのない瞳でそう言い切ったのは、バブル絶頂期にグラビアを席巻し、現在は“敏腕プロデューサー”として名を馳せる小栗香織(53)だ。自身の経験を活かしたグラビアプロデュースをはじめ、写真集やエッセイ本を手掛けるなど幅広い分野で活動。今年4月に発売した奥菜恵の写真集『Okina Megumi』もプロデュースするなど、その手腕を発揮している。 「最初に奥菜さんにオファーした時、彼女は『私なんかでいいのかな……』と不安を口にしていました。でも、そういう女優さんたちの不安を取り除いたり、ケアすることも私の役目です。オファーを受けてもらえないことですか? もちろん、たくさんありますよ。でも、無理だと思われていることを達成したほうが面白いし、読者にも楽しんでもらえると思うんです」 小栗は30歳を機に独立。プロデューサーとして20年以上の経験と実績を誇り、今日まで錚々たる顔ぶれの芸能人たちをプロデュースしてきた。 「印象的だったのは、女優の南果歩さん。私がプロデュースする『女優シリーズ』という企画で一度オファーをしたのですが、その時はお断りされてしまったんです。あとで聞いた話ですが、彼女の耳には届いていなかったことがわかって。南さんが事務所を独立したタイミングでもう一度依頼したら、引き受けてくださったんです。お会いした時は気持ちが溢れ、思わず泣いてしまいました(笑)。その後、彼女のエッセイ本『乙女オバさん』(’22年)を発売した時は、さらにご縁を感じましたね」 一度は阻まれた企画も、熱意があれば形になることを証明してみせた。その一方で、事務所やスタッフに自ら営業し、運を手繰り寄せることもあるのだという。 「後藤久美子さんは事務所のオスカーに電話をしたら社長から直々にご連絡をいただいて。そこで企画の趣旨やこちらの想いを伝えたら賛同してくれて、最終的にご本人も出演を快諾してくれました。また、当時一緒に仕事をしていたカメラマンさんが鈴木保奈美さんと仲良しだったのでご紹介いただいたこともありますね」 なかでも、’22年に発売した藤あや子の写真集の反響は想像以上に大きかった。 「もともとは写真集ではなく、フォトエッセイの中に何枚か写真を載せるというお話だったんです。でも、いざ撮影になったら盛り上がって『フォトエッセイの大きさではもったいない!』と、急遽変更。普段からヨガやキックボクシング、家での筋トレなどを欠かさない藤あや子さんは還暦とは思えない美しさで……まさかの水着ショットまでいただいてしまいました(笑)」 今でこそ“敏腕女性プロデューサー”として第一線で活躍する小栗だが、芸能界デビューは17歳の時。伝説の深夜番組『11PM』(日本テレビ系)のカバーガールでブレイクすると、数々のドラマ・映画・CMに出演し、一気にスターダムを駆け上がった。 “芸能界”という荒波に飛び込むことになった理由についてこう振り返る。 「高校3年生の時、学校からの帰り道にスカウトされたのがきっかけです。芸能界にまったく興味がなかったのでその場でお断りしたんですが、家に帰るとなぜかスカウトマンから自宅に電話がかかってきて。最初は『何で電話番号を知ってるんですか?!』と驚きましたね(笑)」 現代ではストーカーまがいの行動も、当時の小栗の目には“熱心なスカウトマン”の姿に映ったという。 「いつも学校から帰る前に公衆電話から自宅に電話をしていたんです。その日も電話をしたんですが、スカウトマンは私がプッシュした番号を後ろから見て、暗記をしてかけてきたそうです。その熱意に心が揺り動かされ、事務所の社長に会うことを承諾。そして、芸能活動を始めることに決めました」 デビュー後は、PARCOのポスターモデルや豊島園のイメージガールなど、多くの仕事に恵まれ注目を集めた。とくに楽しかったのは、バブル絶頂期ならではのグラビア撮影の仕事だった。 「グラビア撮影ではサイパン、バリ、グアム、タイ、ハワイ……南の島はほとんど行きましたね。毎月2回以上は海外撮影に行って、写真集は出せば売れる時代。あの頃は小麦肌の健康ボディが良しとされていたので、各地の美味しいものをたくさん食べれました」 仕事は順調に舞い込んできたが、休みがほとんどない多忙な日々。毎週ビッチリ詰め込まれたスケジュールをこなすことで精一杯だった。 「仕事は楽しかったですが、忙しすぎて体力的にはキツかった。金曜日に『11PM』の収録が終わって、次の日から翌週の木曜日まではロケで数ヵ所飛び回って撮影、金曜日は『11PM』の収録で、毎週あっという間。休みは月に一日あるかないかで、友達にも会えないし、実家にも帰れなかった。ただ、そんな忙しない日々を過ごしていたので、辞めたいとか考える余裕もなかったです」 グラビア界を席巻し、20代を駆け抜けた小栗。しかし、芸能界しか知らないことに対してたびたび不安が過るようになった。 「芸能界のお仕事をこなすのに慣れてきた時に、ふと世の中のことを全く知らないことが怖くなって、このまま30歳を迎えたらまずいと危機感を感じるようになりました。それで、洋服が好きだったのでファッションの専門学校に通ったり、歌が好きだから音楽事務所に移籍したりと、自分に何ができるのかいろいろ模索していました。でも、どれもピンとこなくて悩む日々が続いて……」 そんな彼女が人生の転機を迎えたのは28歳の時だった。 「知り合いのプロデューサーが体を壊してしまい、仕事を手伝ってほしいと頼まれたので芸能活動と並行してお手伝いをするようになったんです。タレントたちのお弁当手配をはじめとする裏方作業をしたり、ロケバスの運転手さんやメイクさんたちと話したりするのが私にとってはすごく新鮮だった。グラビアアイドルの時は“喋らず、ずっと笑っていればいい”と教育されていたので、真逆の世界を見たような感覚。2年くらいアシスタントを続けて、30歳で独立を決めました」 デビューから35年――。小栗は昨年末にグラビアの集大成として、デビュー後の初々しい素顔からフルヌードまでを詰め込んだ『小栗香織35th Anniversary写真集チャーミング 1988-2004』(小学館)を発売。自身でプロデュースを手掛け、表紙は一番のお気に入り写真を選んだ。 「ファースト写真集から’04年のラストヌード写真集まで、グラビア時代の写真を厳選して作りました。昔の写真だけど、“新しさ”を感じてもらえるような写真集を意識したので、タイトルはあえてレトロ感がある『チャーミング』(笑)。小栗香織を知らない人にも手に取って楽しんでもらえたら!」 大仕事が成功しても、決して満足しない。そのハングリー精神こそが、小栗香織を突き動かしているのだ。
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