愛情を込めて「おばあちゃん」 ポルシェ718 W-RS(2) ディーノ 196 SPに匹敵した速さ
ディーノ 196 SPに匹敵するパフォーマンス
ポルシェとして、前後にディスクブレーキが装備されたのは、スパイダーの718 W-RSが初めて。1961年のル・マンへ向けて既にテストされていたものの、走行時の摩擦が大きく、その年はやむなくドラムブレーキへ戻されていた。 【写真】「フラット8」をミドシップ ポルシェ718 W-RS 904と917 同時代のスポーツモデルも (172枚) しかし、2.0L水平対向8気筒、タイプ771ユニットを獲得した1962年のポルシェ718 W-RSは、過去にないほど重かった。1960年仕様の718 RS60から130kgも増え、車重は685kgに達していた。制動力に長けたディスクブレーキは、必須だった。 1962年のタルガ・フローリオでは、ポルシェ・ワークスであることを前面に出さず、イタリアのスクーデリアSSS レプッブリカ・ディ・ヴェネツィアの一員として参戦。718 W-RSのフロントノーズには、スクーデリアSSSのロゴがあしらわれた。 またクーペの718 GTRは、シチリア島出身のドライバー、ニーノ・ヴァカレラ氏にちなんで、レッドに塗装。イタリア・メーカーのマシンだと、勘違いした観衆も多かっただろう。ドイツ勢がホーム的に戦えることを狙った、戦略的なものだった。 真新しい771ユニットは、フェラーリ・ディーノ 196 SPに載った2.0L V6エンジンに匹敵するパフォーマンスを発揮。プラクティスでも、互角の競争力を披露した。 ところが、ダン・ガーニー氏がドライブする718 W-RSは、1周目を終えたところでスピン。石橋の欄干へ衝突してしまう。原因は、シャシーを限界まで追い込んだことではなく、ディスクブレーキが加熱し固着したためだった。
ニュル1000kmレースでクラス優勝
718 GTRは、レース中盤までに2位へ順位を上げていたが、こちらもブレーキが故障。それ以降の400km以上を、ヨアキム・ボニエ氏はエンジンブレーキと四輪ドリフトを駆使し、摩擦ブレーキに頼らずコーナリングするという、妙技でこなした。 世界ラリー選手権的な旋回が功を奏し、718 GTRは2台のフェラーリに次ぐ総合3位でゴール。プロトタイプ2リッター・クラスでは、1位の好戦績を残した。 続いて舞台をドイツへ移し、ニュルブルクリンク1000kmレースへ参戦。718 W-RSのステアリングホイールを握ったのは、グラハム・ヒル氏とハンス・ヘルマン氏で、ディスクブレーキも完璧に機能した。 ここで718 W-RSは期待通りの速さを見せ、プロトタイプ2リッター・クラスで優勝。総合3位に輝いている。 他方、718 GTRも順調に周回を重ねたものの、トランスミッションが故障。表彰台は逃した。それでも、771ユニットは目立ったトラブルを起こさず、耐久性の高さを証明している。 1962年のル・マン24時間レースは、GTカーのみが出場可能とされたルールが理由で不参戦。その後、718 W-RSは欧州マウンテン・ヒルクライム・チャンピオンシップの一部のほか、アメリカで6本のレースを戦った。 翌1963年仕様の718 W-RSには、前シーズンで得られた経験をもとに、グラスファイバー製ボディへ新しいドアとリアリッドを採用。サスペンションは、トレーリングアーム式から、ウイッシュボーン式へアップデートされた。