“組織と個人”の狭間で「東海テレビのドキュメンタリー」ブランドはどう作られたのか――重松清×阿武野勝彦<前編>
テレビ版と映画版で全然イメージの違う作品に
重松:出版の世界では、単行本を刊行してだいたい3年後に「文庫化」というものがあるんですよ。そこで、文庫版のためのエピローグとか、あとがきとか、補遺といったものを出せるんですけど、東海テレビのドキュメンタリーでもテレビ版と映画版の間にタイムラグがあるじゃないですか。そこでプラスアルファするものなんですか? 阿武野:最初はテレビの予算で映画にする「0円映画化」ということだったので、限りなくテレビの形に近いものでしたが、だんだん制作者の欲が出始めて、せっかく映画にするならより良くしたいと、今では映画版としてもう1回作り直すということになっています。だから、テレビで放送した後に起こったことを入れたり、テレビでは使わなかった素材を復活させたりということは、よくあります。そうすることで、テレビ版と映画版が全然イメージの違う作品になっていることもあります。 『その鼓動に耳をあてよ』でいうと、北川(喜己・救命救急)センター長は、テレビ版では映り込むだけの存在でした。北川センター長を主人公に、コロナ真っただ中のERを取材するという構図だったにもかかわらず、です。 重松:そうだったんですか! 阿武野:素材では、センター長に密着に近い状態があったようです。だけど、私に見せる第一稿では一切その映像がありませんでした。テレビ版はそのまま2回放送したんですけど、その間に僕が村田(敦崇)カメラマンと一緒に、北川センター長と何回か会うことになって、そこで話をしているうちに、「このERの医師が置かれている現状をきちんと出せて、超高齢社会で重要度が増すERの脆弱な社会を撃つことができる存在なんだ」と気づき、土方プロデューサーと足立(拓朗)監督と相談して、映画版で北川センター長のお出ましとなりました。 それと、テレビ版にあったナレーションを、映画版ではすべてなくしています。土方プロデューサーは、ナレーションのない作品が好きなので、「ナレーションなしにしよう」と言うと、急に火がついたように140%くらい仕事に燃えますから(笑)。そうやって、映画『その鼓動に耳をあてよ』ができていったんです。 重松:ドキュメンタリーを作るにあたって、「人」と「テーマ」というのを考えたときに、やはり最初は「テーマ」のほうを強く意識するものなのですか? 阿武野:それもディレクターによって違いますね。『その鼓動に耳をあてよ』ですと、土方も、北川センター長に強いシンパシーを感じていて、頭の中では彼の物語を作りたいとなったはずなんですよ。ところが、そこに反作用が起きて、シンパシーを持ってしまった自分の意識を消さなきゃと思った瞬間に、北川センター長の存在をなくして、テレビ版はERの群像劇になったんだと思います。そこから、映画化でもう1回見直すということになって。一度捨てたものを、どう拾っていくかと揺らめきながら作品の中にシンパシーも投影していくという塩梅だったと思います。そういう揺らめきの中に、「人」と「テーマ」がにじみ出してくれるような気がしますね。 ●重松清 1963年、岡山県生まれ。早稲田大学教育学部卒業後、出版社勤務を経て執筆活動に入る。91年『ビフォア・ラン』でデビュー。99年『ナイフ』で坪田譲治文学賞、同年『エイジ』で山本周五郎賞を受賞。01年『ビタミンF』で直木賞、10年『十字架』で吉川英治文学賞、14年『ゼツメツ少年』で毎日出版文化賞を受賞した。現代の家族を描くことを大きなテーマとし、話題作を次々に発表。著書は他に、『流星ワゴン』『疾走』『その日のまえに』『きみの友だち』『カシオペアの丘で』『青い鳥』『くちぶえ番長』『せんせい。』『とんび』『ステップ』『かあちゃん』『ポニーテール』『また次の春へ』『赤ヘル1975』『一人っ子同盟』『どんまい』『木曜日の子ども』『ひこばえ』『ハレルヤ!』『おくることば』など。多数。16年から早稲田大学文化構想学部で教鞭を執っている。 ●阿武野勝彦 1959年生まれ。静岡県出身。同志社大学文学部卒業後、81年東海テレビ放送に入社。アナウンサーを経てドキュメンタリー制作。ディレクター作品に『村と戦争』(95年・放送文化基金賞)、『約束~日本一のダムが奪うもの~』(07年・地方の時代映像祭グランプリ)など。プロデュース作品に『とうちゃんはエジソン』(03年・ギャラクシー大賞)、『裁判長のお弁当』(07年・同大賞)、『光と影~光市母子殺害事件 弁護団の300日~』(08年・日本民間放送連盟賞最優秀賞)など。劇場公開作は『平成ジレンマ』(10年)、『死刑弁護人』(12年)、『約束 名張毒ぶどう酒事件 死刑囚の生涯』(12年)、『ホームレス理事長 退学球児再生計画』(13年)、『神宮希林』(14年)、『ヤクザと憲法』(15年)、『人生フルーツ』(16年)、『眠る村』(18年)、『さよならテレビ』(19年)、『おかえり ただいま』(20年)、『チョコレートな人々』(23年)、『その鼓動に耳をあてよ』(24年)でプロデューサー、『青空どろぼう』(10年)、『長良川ド根性』(12年)で共同監督。個人賞に日本記者クラブ賞(09年)、芸術選奨文部科学大臣賞(12年)、放送文化基金賞(16年)など、「東海テレビドキュメンタリー劇場」として菊池寛賞(18年)を受賞。著書に『さよならテレビ ドキュメンタリーを撮るということ』(21年)。24年1月末で東海テレビを退社した。
中島優