王貞治氏、“プロレスの父”力道山「生誕100年記念パーティー」で「功績」をたたえる「当時としては今の大谷を超えるすごい出来事だった」
“日本プロレス界の父”力道山(享年39)の「生誕100年記念パーティー」が9日、東京・日比谷の帝国ホテルで行われた。 力道山は、1924年11月14日、日本統治下の朝鮮で生まれた。1940年に大相撲の二所ノ関部屋に入門。関脇まで昇進したが50年に大相撲を引退しプロレスラーに転向、52年に日本プロレス協会を設立。日本初の本格的プロレス興行となった54年2月19日に蔵前国技館で木村政彦とタッグを組んでシャープ兄弟と対戦し、前年にスタートしたテレビ放送と共に戦後復興の象徴となり国民的ヒーローとなった。ジャイアント馬場さん、アントニオ猪木さんら昭和プロレスの隆盛を支えた多くの弟子も育てたが、63年12月8日に赤坂のナイトクラブで暴力団員の男に刺され、1週間後の12月15日に都内の病院で39歳の若さで亡くなった。 パーティーは、妻の田中敬子さん(83)と生誕100周年実行委員会が主催。生前、親交があった福岡ソフトバンクの王貞治会長、元プロ野球選手の張本勲氏、元参議院議員の江本孟紀氏、プロレス界からはストロングスタイルプロレスの新間寿会長、藤波辰爾、佐々木健介&北斗晶夫妻、小橋建太、芸能界からは女優の沢田亜矢子、歌手の佳山明生ら約350人が出席した。 壇上であいさつした王会長は「プロ野球がスタートしたころ力道山さん全盛でシャープ兄弟、ルー・テーズ…日本が元気がなかったころに外国人をなぎ倒してくれたことは、当時の日本にとっては痛快な出来事だったと思います」と振り返った。 そして39歳での急逝に「力道山さんには一年でも長生きしてほしかったですね」と思いをはせ「このごろ大谷(翔平)のことがものすごく大きく扱われていますけど、あの当時としては今の大谷を超えるすごい出来事だったと思うんです」と功績をたたえ「せめて明日の新聞ぐらいは大きく扱ってほしいな、と」と願っていた。
報知新聞社