横浜F・マリノス史上最高! “化け物”となった下部組織出身選手6人。日本を代表する優れた才能たち
MF:中村俊輔(なかむら・しゅんすけ) 生年月日:1978年6月24日 在籍期間:1997年2月~2002年7月, 2010年2月~2013年12月 クラブ通算成績:408試合82得点58アシスト 日本サッカーのレジェンドと言える中村俊輔は、桐光学園高校で名を上げて、1997年に横浜マリノスに加入したため内部昇格ではないが、中学時代にマリノスのジュニアユースでプレーしていた。ジュニアユースで磨いた技術を武器に、高校サッカーでタフさを加えてJリーガーになった選手だ。 プロ1年目から30試合に出場した中村は、1997シーズンの新人王を受賞。3年目の1999シーズンから横浜F・マリノスの10番を背負うと、2000年にJリーグ最優秀選手に選ばれるなど、日本屈指のMFとなった。2002年からは国外に挑戦し、2010年にマリノスに復帰して2013シーズンまでプレー。2013年にはリーグ戦で自己最多となる10得点を挙げて、自身2度目となるJリーグ最優秀選手賞を受賞した。 中村はマリノスに通算12年半在籍し、芸術的な左足のキックを武器に相手の脅威になり、ファンを魅了した。10番を付けたのはそのうちの6年半だが、マリノスの10番として真っ先に思い浮かぶのは中村という人も多いはずだ。それほどのインパクトを残した選手である。
FW:坂田大輔(さかた・だいすけ) 生年月日:1983年1月16日 在籍期間:2001年1月~2011年1月 クラブ通算成績:317試合61得点4アシスト 坂田大輔は、中学生のときに横浜フリューゲルスの下部組織に加わり、その後、横浜マリノスとの合併に伴って、横浜F・マリノスユースに移り、2001年にトップチーム昇格を果たした。 プロ1年目からリーグ戦で11試合に出場した坂田は、徐々に出番を増やしていくと、爆発的なスピードを武器に、2003シーズンと2004シーズンのリーグ2連覇に貢献。2004シーズンは、キャリア初の2桁得点も達成している。 坂田は献身的な前線からの守備も持ち味だった。いまほどハイプレスが重要視されていない時代だったが、どんなボールに対しても諦めずに追いかける姿勢はファンに愛された要因の1つだろう。 2010年のオフに戦力外通告を受けた坂田は、その後はギリシャのアリス・テッサロニキで夏までプレーしたあと、FC東京とアビスパ福岡でプレーし、2018年3月に現役引退を発表した。