源氏物語で、身分も容姿もよくない女性をスパダリの妻や恋人として描いた紫式部の革命的手法の意図とは
やばい源氏物語 #2
平安時代の物語において、容姿の醜い女性が悪役で描かれ“ない”ことは、革命的だったそうだ。しかし、紫式部の著した源氏物語では位も低く、容姿が悪い醜女が主人公の寵愛を受ける描写がある。 【写真】京都の紫式部像
日本史を専門に研究する大塚ひかり氏の新著、『やばい源氏物語』より、古典における「ブス」の描かれ方を一部抜粋して紹介する。
『源氏物語』はブスだらけ
『源氏物語』が、当時の物語としては異端で革命的だと思われる要素は多々ありますが、その最たるものは、「ブス」の扱いです。 詳細は拙著『ブス論』や『『源氏物語』の身体測定』(大幅に加筆訂正して『「ブス論」で読む源氏物語』として文庫化)で考察したんですが、まず『源氏物語』にはブスが三人も出てくる。これだけでも『源氏物語』以前の物語とは大違いです。 しかもその描写が異様に詳しい。 有名なのが末摘花で、その容姿を描写した箇所の原文を逐語訳すると……。 「まず座高が高く、胴長にお見えになるので、源氏の君はああやっぱりと胸がつぶれた。次に〝あなかたは〞(なんと不細工な)と思えるのは鼻だった。〝普賢菩薩の乗物〞(象)かと思える。異様に長く伸びていて、先のほうが少し垂れて色づいているのがことのほか嫌な感じである。肌の色は雪も顔負けに白く、青みがかって、おでこはこの上もなく腫れている上、下にもまだ顔が続いているのを見ると、おおかた恐ろしく長い顔なのだろう。しかも痩せていることといったら痛々しいほど骨張って、肩のあたりなどは服の上からも痛そうなほどに見える」(「末摘花」巻) こんな容姿の上、寒夜のこととて、黒てんの毛皮のコートを着ている。それは通常、男が着るもので、紫式部の時代には流行遅れだったのに、貧しくて、そんなものしかなかったのです。唯一、髪だけは源氏が美人と思う人にもひけを取らないほどではありましたが、その姿を見た源氏は、 「どうしてこうも一つ残らず見てしまったのか」 と悔やんでしまうほど。しかし、物珍しさにしぜんと目が釘付けになってしまうという醜貌なのです。 『源氏物語』の美女の描写はあっさりしています。 なのになぜブスに限ってこんなに詳しいのか。私は、マイナスの描写が異様に詳しい『法華経』などの仏典の影響があるのではないかと考えていて、かつて『ブス論』などで考察したので詳細はそちらをご覧頂くとして……。 そもそもなぜこれほどのブスが『源氏物語』には登場するのか、という問題があります。 よく言われるのは、源氏や紫の上といった主要人物の美を引き立てるためという説ですが、それならブスは末摘花一人で良さそうなのに、ほかにも人妻の空蟬は、 「目は少し腫れた感じで、鼻などもすっきりしたところがなく老けた感じで、つややかなところもない。〝言ひ立つればわろきによれる容貌〞(はっきり言えば悪いほうに属する容貌)」(「空蟬」巻) だし、花散里は、養子となった夕霧が、 「〝容貌のまほならずもおはしけるかな〞(ずいぶん不細工な方だったんだな)。こんな人でも父はお見捨てにならなかったのか」(「少女」巻) と驚くほどのブスです。