「鼻がぐちゃぐちゃに折れて初めてボクシングの危険さに気づいた」日本人初ヘビー級王者を狙う但馬ミツロ。81kgから120kg超の大増量、破竹の10連勝後に待っていた敗北からの再起
敗戦後にミツロ最強伝説は始まった
前回の敗戦は10年前。まだ無冠で無名だった大学2年のリーグ戦で、1R42秒KO負けしている(相手は現プロ日本ミドル級4位の酒井幹生選手)。ミツロはその敗戦をきっかけに一層猛練習に励み、その年の国体や全日本選手権を制し、ブレイクした。 亀田会長は敗戦についてこう話す。 「まだまだチャンスはある。今の状態で下位とはいえ世界ランカーと最終ラウンドまでやれるんやから。ただ逆に今は、もっと文句もほしい。いろいろもっと文句言うてきたらええねん。アンチがいるってことは、注目されてるいうこと。アンチは亀田の栄養やから」 しかしこれはミツロの話である。そばでミツロが、目線を落としたまま苦笑している。 「僕は彼がボクシングやっているうちに、稼げるようにしたらなあかん。辞めたあとのほうが長いんやから」(亀田会長) 3150ファイトクラブでプロデビュー後、ミツロは住居費など亀田プロモーションのサポートを受けながら選手を続けている。経済的には学生時代と比べものにならないほど楽になった。 「仕送りができて、お母さんを助けることができるようになったのは、プロで叶えたかった夢のひとつ。お母さんの存在はずっとモチベーションになっています」
前所属ジム会長からのエール
この取材で、どうしてもミツロに聞いておきたいことがあった。2021年まで所属していた緑ボクシングジムの松尾敏郎会長とのことだ。ミツロに尋ねた。 「うーん…(しばらく熟考)。最後に話したとき、お金のほうが大事だといわれたのは、寂しかったは寂しかったですね。僕は誰かと揉めたい人間ではないので」 ゆっくり、言葉を選びながら続ける。 「ただ今ではプロで試合をするほど、向こうの気持ちがわからないことはないと思う部分もあるし……。その、すべては何か理由があって起こっていることで、緑ジムがなかったら今はこうして興毅さんとも出会えていないし、その点でも感謝しています。 なので僕は、たとえ今そばで松尾会長が座っていても、隠したいことは何もないですし。いつかどこかでまた、話したいなとは、思っています」 一方、かつて「この子に残りの人生を捧げよう」とまで思った緑ジムの松尾会長はどう思っているのだろうか。名古屋の会長をもとを訪ねると、いつも通りの穏やか口調で、「何もやましいことはないから隠すことなく話すよ」とゆっくりと口を開いた。 松尾敏郎会長(以下、松尾会長) 彼には彼の主張があって、僕には僕の主張がある。 ――それぞれに認識の違いがあったと。 松尾会長 ええ。ただ、それはそれ、これはこれとして、ボクサーとしての彼は応援していますよ。 ――前回の敗戦は見ていましたか? 松尾会長 ああ、見たよ。この段階であれだけできたら上等でしょう。彼は自分に甘えてしまうところがあるから、なまじ勝っちゃうよりよかったんじゃないかな。 ――緑ジムで練習していた頃、スパーリングも見ていましたよね。率直に、彼は世界チャンピオンになれると思いますか? 松尾会長 うん。僕はなれると思うよ。 このとき声のトーンが、一段強まった。 「今からでもきっちり練習して体重を落とせば、十分に間に合うと思う。あの子はそれくらいの素質を持った子ですよ。会ったら『目を覚ませ』て言うたってください」 ミツロは今年30歳になった。彼に関わった多くの人が、また“無双”が始まるのを楽しみにしている。 #1「恐怖のカリスマだったアマ無双時代」はこちら 取材・文・撮影/田中雅大
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