それでも「東大の教員」か? 東大生たちの時間と精神をムダに消耗させる、非道なふるまい
2月で39歳になりました。東京大学1年さんきゅう倉田です。 この連載では、東大の学生や先生の素晴らしさを伝えていますが、中にはろくでもない人間も存在します。どのくらいろくでもないかというと、ぼくの出会った大人の中で最も性格が悪いと認識するくらいろくでもなく、邪悪で、恣意的で、愛のない人間で、しかも教員でした。 【表】東京大学の合格者のうち、上位の出身校〈中高一貫校〉は? 東大には体育の授業があります。種目はテニス、サッカー、筋トレ、バスケなどから選択でき、13回ある授業の第1回で決めます。大きな教室に200人ほどが集まって説明を聞いてから、担当教員のもとに赴きます。 ぼくは事前にカバディにすると決めていたので、その教員のいる島にさっさと着席しました(その教員は社会的な制裁を受けてもいいくらい邪悪な人間で改心して欲しいと思うけれど、ぼくの判断が正しいとは限らないので個人が特定されないようにスポーツ名を変更しています)。 少し遅れて女の子がやってきて、カバディの教員に言いました。 「カバディにしようか迷っているんです」 初めてのカバディ。迷いますよね。ぼくは高校でカバディ部だったので迷いませんでしたが、彼女は道具も持っていないし、ルールも知らないのでしょう。そんな彼女に対して教員が言った一言は半年経った今でも忘れません。 「やめたほうがいいんじゃないですか」 とつもなく冷たく放たれた一言でした。まっすぐな負の感情のみで発せられた言葉は、彼女を動揺させました。無言のまま立ち去った彼女がどのスポーツを選んだのかはわかりませんが、一生カバディをやらない気がしました。 どうしてそんな言い方をするのか不思議です。教員はカバディが好きなはずです。カバディを始める学生が増えたら嬉しくないのでしょうか。あんな言い方をされたらカバディを嫌いになってしまう。この教員に対するぼくの不信感が芽吹いた瞬間でした。
カバディにはシューズが必要
第二回の授業では、さっそくカバディコートでカバディの練習をします。このコートはカバディ専用のシューズが必要で、筆者を含む多くの学生が事前に購入していました。授業の開始とともに、教員が言います。 「靴をチェックするので、ひとりずつ見せてください」 丁寧語は使っているけれど、アメリカの刑務所で刑務官が囚人に命令するときのような言い方でした。「いますぐ裸になって、自分の手で◯◯を◯◯して、◯◯の◯を見せろ!」と言われたような感覚でした。 教員がひとりずつチェックすると、専用シューズを履いていない学生がいました。 「それ、カバディシューズ?」 「・・・違います」 「どうして履いてないんですか?」 「・・・・別にいいかなと思って」 「だめなんで」 「・・・・・」 教員は少し移動して、別の学生にも指摘します。 「それ、カバディシューズじゃないですよね」 「・・・はい」 「だめなんで。・・・・さっきの人も『別にいいかな』じゃなくて、だめなんで」 恐ろしい言い方でした。動物への愛や命をいただくことへの感謝が全くない畜産家が豚に話しかけるような言い方でした。「お前らはこの真っ暗な空間でただひたすら与えられた餌を食ってぶくぶくと太ればいい。自分で判断したり、逆らったりするんだったら、俺にとって全く価値のない存在だ」と言われたような感覚でした。 当の学生は困ったと思います。「だめ」だとは言われたけれど、具体的にどうしたらいいのかわかりません。練習場から出ていくべきなのか、あるいは見学は許されるのか。どうしていいかわからないという不安とこの後どのような処分を受けるかわからないという恐怖が、他の学生にも伝染していくのがはっきりと感じられました。 靴を忘れた学生がどうなったかはわかりませんが、減点されたことは間違いないでしょう。 しかし、教員の意地の悪さはその日の授業の後にも露わになります。カバディの練習がしたかったぼくは教員に許可を求めに行きました。 「このままカバディの練習をしてもよいでしょうか」 2秒ほどの間があって、彼が言ったのは「はぁ」だけでした。 言い終わって口を閉じない、世界中で最も不快な「はぁ」。たったの2文字で他人をここまで不快にできるのかと驚くほどの「はぁ」。およそ45年の彼の人生で嫌なことしかなかったのだろうかと思わせる「はぁ」でした。 ぼくの充実した人生の登場人物として、この教員はふさわしくない。二度と話しかけない決心をしました。しかし、こちらから交流を求めなくとも、教員として彼はその尊大な振る舞いで我々の心を蹂躙してきます。